帆78~79シーズン②

 

このシーズンのクリッパーズは接戦に強く、3点差以内の試合は16勝5敗でした(勝率はリーグトップ)。

 

【主なベンチ】

 

ウィックスは79試合に出場しましたが、スタートしたのは15試合だけ。

ミニッツはセルティックス時代よりも減り、平均9.8点・5.1リバウンドと自己ワーストのシーズンとなりました。

 

ウィックスはこの当時まだ29歳。

なぜこんなに落ち込んでしまったのかわからないんですが、Gの二人がシュートを多投するので、リバウンドやディフェンスに秀でたワシントンの方が重宝されたでしょうか?

 

クナートは81試合(10試合がスタート)で平均6.5点・7.0リバウンド・1.5ブロック。

スタートしてもスタッツはそんなに伸びず、ミニッツは昨シーズンから平均6分ほど減ったんですが、ブロックは増加。

36分換算のリバウンド数も増えています。

 

ルーキーのフリーマン・ウィリアムスは、72試合で平均10.4点・FG成功率49.0%をマーク。

ほとんどがベンチからの出場で、ミニッツも平均16.6分でしたが、持ち前の得点力の高さを見せました。

 

同じくルーキーのジェローム・ホワイトヘッドは、ローテーション外。

最終的にはウィリアムスよりも長いNBAキャリアを送る選手なんですが、このシーズンは31試合で平均4.9分しか出番がありませんでした。

 

【細かい人事】

 

①10月末、スコット・ロイドをブルズに放出し、81年のドラフト3巡目指名権を獲得。

また、同じ日にボブ・ビガロウと契約。

②11月頭、ピートカヴィッツを解雇。

③12月頭、ジョン・オリーブと契約し、ノーマンを解雇。

 

ビガロウはキャリア3年のSF(6フィート7インチ)。

これまでは通算65試合の出場でミニッツは平均5分ほどで、開幕直前にセルティックスから解雇されていました。

 

クリッパーズでは29試合に出場。

11月末~12月頭にかけてシューHCがラインナップを試行錯誤していた時期と、1月にフリーが欠場した2試合ではスターターとしてもプレイ。

自己ベストのシーズンを過ごしていましたが(平均14.2分のプレイで平均2.9点)、2月頭に現役引退を発表しています。

 

オリーブは、オフのドラフト8巡目第168位でシクサーズに指名されたルーキー(6フィート7インチのSF)。

ヴィラノバ大出身で、カレッジ時代は4年間スターターを務めましたが、スタッツは目立つものではありませんでした。

ローリー・マッシミーノHCのヴィラノバ大での最初の教え子のひとりです。

 

クリッパーズでは、数分程度の起用が大半ではありましたが、34試合に出場。

シーズン終了まで生き残ります。

 

ノーマンは2桁得点をあげることもあり、22試合で平均7.3点をマークしていたんですが、生き残れず。

NBAではこれが最後です。

 

【複雑な人事】

 

2月半ば、ナゲッツから制限付きFAとなっていたブライアン・テイラーと契約を結びました。

 

テイラーはキャリア6年のPG(6フィート2インチ)。

ABAでオールスターに二度、ABAとNBAでオール・ディフェンシブ・チームに計三度選出された実力者なんですが、この1年ほどは厄介な状況にあり、プレイしていませんでした。


発端は、ナゲッツに在籍していた昨シーズン途中、契約の支払いをめぐってフロントと衝突してチームから離脱したことでした(詳しくはナゲッツ編で)。

 

この件は、正式な仲裁手続きを求めるまでに発展し、ピーター・サイツという労働仲裁人(労使関係の最高クラスの仲裁人。NBAとNBPAの常任仲裁人でもありました)が、次のような裁定を下します。

『テイラーはFAとなることを認められ、ナゲッツは、テイラーが移籍する場合には補償を得られる』

 

その後、ナゲッツがクオリファイイング・オファーを提示したことで、テイラーは制限付きFAに。

テイラーを欲しいというチームは幾つもありましたが、テイラー側の要求や、ナゲッツへの補償部分などがネックとなり、事態は長期化していました。

 

今回の契約はこのシーズン限りで、ナゲッツに渡す見返りの内容はここから交渉。

(最終的には合意に至らず、79年6月半ば、リーグが79年のドラフト2巡目指名権2つと定めます)

 

テイラーのクリッパーズ移籍が決まる前、ナゲッツはシクサーズやレイカーズ相手にもっと大きな見返りを求めていたので、だいぶ妥協しましたかね。

 

シューHCは「ブライアンと契約することには、かなり不確かな部分があった」とコメント。

「誰もが彼の能力を高く評価していた。でも、彼が試合から離れている期間が長くなるほど、問題は複雑になっていったんだ。デンバーへの補償の問題もあった。ブライアンはナゲッツを離れてしまったけれど、人々は彼の契約をめぐる争いを理解していなかった。

それに、彼はかなり高い金額を要求していたし、彼はコーチにとって扱いにくい人物なのではないか、と考えているコーチもいたんだ」

 

ナゲッツへの見返りが決まらないことなどについても、次のように話しています。

「少しややこしいことになるだろう」

「でも私はブライアンが欲しかった。彼は一流の選手だ。ディフェンスは非常に優秀だし、チームプレイもできる。

私たちにはプレイオフに進む大きなチャンスがあるから、彼がどれだけ助けになれるのかを見たかった。私たちはここで何かを築こうとしていて、選手が必要だ。ブライアンが加わることで、トレードの可能性も大きく広がるしね」

 

そんなテイラーは、79年2月16日のジャズ戦で、約1年1ヶ月ぶりに復帰。

「自分がどれほどプレイすることを恋しく思っていたのか、気づいていなかった」「まるで、また子供に戻ったような気分だった。ジャズ戦で4分間(記録では5分)プレイしただけなのに、アドレナリンが体中を駆け巡ったよ」と喜びました。

 

ただ、コンディションが整っていなかったか、シューHCの判断か、その後もミニッツは限定的。

24試合中20試合に出場しましたが、ミニッツは平均10分ほどでした。

それで平均1.2スティールはすごいんですが。