王70年オフ②
このオフは印象的な出来事が続きます。
【訃報】
ドラフトから約2週間後の70年4月6日、モーリス・ストークスが逝去。
3月30日に心臓発作で倒れ、そこから一週間後の出来事でした。36歳でした。
その後のストークス
60年頃は、合併症が生じた影響などで状態が悪化したようなんですが、そこから少しずつ回復。
転院しながらも厳しいフィジカル・セラピーを取り入れるなどリハビリを行い、限定的ながらも体を動かすことに成功。
いろいろなことが出来るようになっていました。
本を読み、テレビを見、出版はされなかったものの自叙伝を書き、焼き物を作り…選挙も休まなかったそうです。
肩から足までの長い添え木をすれば、足を引きずりながらでも、2,3mは助けなしで歩けるようにもなっていました。
喋ることも少しずつリハビリ。
たどたどしいうめき声のような感じだったらしいんですが、ジャック・トワイマンはそれを理解していたとのこと。
ストークスの積極性と明るい性格は周りの人たちを元気にしていたようで、病院のスタッフは、落ち込んでいる患者たちをストークスと面会させたりもしていました。
(現役時代)ほぼ毎日、練習後に病室を訪れていたというトワイマンも、部屋に近付くとストークスの笑い声が聞こえてきたとしています。
ストークスは、本人の意向でキャンパス内の共同墓地に埋葬されました。
母校であるセントフランシス大のセントフランシス・フィールドハウスは、”ザ・モーリス・ストークス・フィールドハウス” となり、72年には ”モーリス・ストークス・アスレチック・センター” と更に名前を改めます。
その後のトワイマン
トワイマンは、正確なタイミングはわかりませんが、オフの仕事がより高収入なものに(食品関係の卸売会社のCEO)。
ストークスをケアするため、NBAの関係者たちと数え切れないほどの募金活動を企画し、60年代後半にはストークスを養子に迎えました。
ストークスは、トワイマン家を月に2,3回訪れ、トワイマン家と夕食を共にしていたそうです。
60年に誕生したトワイマンの息子は、家族とストークスの交流をこのように語っています。
「白人が黒人を養子として引き取り、保護するということは、父にとっては問題でも何でもなかった。でも、それを嫌う人もいたんだ」
「以前は選手としての彼を知らなかった。父の親友で、大勢の取り巻きと救急車を引き連れて家に夕食に来るような、大きな人だった」
「(ストークスは)父が町にいる週末は、いつも父を訪ねてきました。母は周りの人に彼のことを知ってもらい、家族の一員として迎え入れようと尽力していました」
ボブ・ペティットは、その息子トワイマンに、
「君のお父さんのことが大好きだった。今の選手たちが試合開始の前にハグしているのを見ると、まったくのデタラメだと思うよ。僕が抱きしめたいのは、モーリスのためにしてくれた君のお父さんだけだ。他のみんなは、まるで戦争みたいだった。お母さんに電話して、お父さんを愛してるって伝えてよ」と言いました。
トワイマンは83年、ストークスは04年に殿堂入り。
ストークスの202試合という試合数は歴代の殿堂入り選手の中で最少です。
トワイマンは、ストークスの殿堂入り式典でこんなスピーチを行いました。
「彼は毎日、新しい一日を心待ちにしていました…私がモーリスのために多くのことをしてきたとよく言われますが、私は、彼のためにしてきたことが何であれ、その10倍、彼からもらっていました。
モーリスを代表してここにいられることを大変嬉しく思います。彼は殿堂入りにふさわしい選手です。偉大な選手でした。最後に一言、『おめでとう、でっかいの。君は成功したよ』と言いたいです」
【70年4月21日】
オスカー・ロバートソンをバックスに放出。
見返りにフリン・ロビンソン&チャーリー・ポルクを獲得しました。
昨シーズン中にも話があったとはいえ、このトレードはNBA全体に衝撃を与えました。
その真意については様々な憶測が飛び交い、「クージーが現役時代に作った記録をロバートソンが幾つも破ったために、クージーが嫉妬したのでは?」 という見方もあったとか。
ロバートソンはトレードにおけるロイヤルズ/クージーの対応を改めて批判。
「ロイヤルズは、残留の意思があるか、残留する場合の希望を一度も聞いてこなかった」
「クージーは(昨)シーズン半ば、チーム内のどの選手にも昇給はしないから、私は移籍せざるを得ないと言いました。
クージーは、昇給の希望があるかどうかは一度も聞かなかった。ただ、私が昇給を要求するだろう、それも高額な昇給を要求するだろうと思ったから、私をトレードすることで状況に事前に対処するつもりだと言ったんだ。
私は、彼が示唆したような要求をするつもりはなかった。彼が突然この話を持ち出し、私は口を閉ざしたんだ」
「彼の理由がなんであれ、私は彼が間違っていたと思うし、このことは決して忘れないよ」
出戻りのロビンソンは、ブルズで開花し、その後バックスで更に開花。
昨シーズンは平均21.8点に加えてリーグ1位のFT成功率をマークし、オールスターにも出場しました☆
ポルクは6フィート8インチのPF。
68年のドラフト1巡目第7位でバックスに入りますが、17試合プレイしたところで兵役へ。
ベトナムへ行き、昨シーズンは全休していました(ベトナム戦争中です)。
クージーはポルクを見たことがなかったんですが、ジョー・アクセルソンは見たことがあり、FとCを両方こなせるポルクを評価していました。
バックスでの17試合は、平均3.0点・4.6リバウンドでしたが…
因みにサンズが、ゲイル・グッドリッチ、ジム・フォックス、グレッグ・ハワードをオファーしてきたという話がありますが、これはロバートソン側がすぐに断っています。