王69年オフ①

 

オーナーになったばかりのマックス・ジェイコブスは、父のルイスと違って、チームの勝利にも拘っていました。

 

また、この当時、NBAのフランチャイズはその価値が上昇していたんですが、シンシナティの集客は低調。

例えば、ABAのペイサーズの方が観客動員数が多かったんですね(ABAのペイサーズとカーネルズは、本拠地がシンシナティと比較的近いです)。

 

兄ジェイコブスは改革に乗り出します。


【ドラフト】

 

1巡目第8位でハーム・ギリアム、3巡目第37位でルーサー・ラックリーを指名。

 

ギリアムはパデュー大出身のG(6フィート3インチ)。

ABAのカーネルズからも指名されますが、ロイヤルズを選びます。

カレッジ時代はFだったようで、サイズの割にリバウンドが多いのが特徴でしょうか。

ひとつ下の学年にはインディアナ州が誇るシューターのリック・マウントがいました。

 

昨年のドラフト13巡目でブルズに指名されたんですが、そのときは大学に残ることを選択。

4年生となった昨シーズン、チームは初めてNCAAトーナメントに進みました。
 

ラックリーは、地元ゼイビア大出身のC(6フィート10インチ)。

運動能力に恵まれていたようで、2年次にいきなりスターティングCとして活躍しますが、3年次は成績不振で7試合しかプレイできませんでした(4年次は戻ってきて大活躍)。

 

この人は、NBAでは特に目立った実績を残しませんが、カレッジ時代はボブ・レニアー、スペンサー・ヘイウッドといった選手たちと互角にやり合っていたんだそう。
 

【フロント交代】

 

4月半ば、ジョー・アクセルソンが球団副社長兼GMとなりました。

 

アクセルソンは61年からNAIA(全米体育協会)の広報部長・事務局次長を務めており、兄ジェイコブスはそこでの評判を評価。

集客に悩むロイヤルズのマーケティング面を任せようと考えたのでした。

 

これは元々、アクセルソンがチームのプロモーションを担当し、前GMのペッパー・ウィルソンが副社長として人事を担当するという話だったようなんですが、ウィルソンがすぐにチームを離れてしまい(シンシナティ動物園に転職)、このようなかたちとなったんですね。

 

かつて陸軍基地でバスケットのコーチを務めたことがあるようですが、今までどの役職でもプロバスケットに携わった経験はありません。

 

ロイヤルズのスカウティングやドラフトは、リーグの一部から馬鹿にされていたとされるほど評価が低く、オスカー・ロバートソンも、フロントに不満を感じていたひとり。

エド・ジャッカーHCについての評価は前の記事で触れた通りですが、直近のドラフトについても、シンシナティ大のリック・ロバーソンをスルーしたことを疑問に感じていたようです。

 

(※ロバーソンは1巡目の最後でレイカーズに指名されるビッグマン。

“8位でビッグマンを取るべきだった” という意図ならばロバートソンの指摘はわかるのですが、“もっといい選手が取れたろう” という話ならば、9位でセルティックスがジョジョ・ホワイトを指名しています)

 

【HC交代】

 

ジャッカーは、メディア、ファン、そしてフロントからの厳しい批判にさらされ、契約を1年残して辞任(記録によっては解任となっています。辞任だとしても事実上の解任かと思います)。

 

そして、ジャッカーが辞任したその日、ボブ・クージーが新HCに就任しました。

 

クージーは言わずとしれた元名PG。

セルティックス一筋で13シーズンプレイし、6度の優勝を中心選手として経験。

個人としても、MVPの受賞、8年連続アシスト王…と輝かしい実績を残しており、63年に現役を引退しました。

 

【クージー①】

 

引退後のクージーはその63年にボストン・カレッジのHCに就任。

他の仕事をしながら…というかたちでした。

 

1年目こそ勝率5割に届きませんでしたが、2年目にはチーム史上初めてNITトーナメントに進出(その後も二度進出)。

67年にはチーム史上二度目のNCAAトーナメントにも進みました(翌68年も)。

オフェンスでは速攻、ディフェンスではプレッシャー・ディフェンスを磨くという指導が功を奏したようで、2年目以降の勝率は8割近いです。

 

ただ、その一方で肌に合わないことも多かったようで、特に選手のリクルートに関しては馴染みませんでした。

 

この当時、カレッジのバスケットも一大ビジネスへと成長し始めており、それに伴って選手のリクルートも変化。

現金、洋服、車、両親に仕事を斡旋…といったサービスを用意するのが一般的になっていたんですが、クージーはこうしたやり方を取りませんでした。

 

そもそもボストン・カレッジ自体、厳格なスタイルだったようなんですが(短大からの編入不可など)、クージーのリクルートは、教育の質をアピールし、入学を真剣に考えているであろう新入生候補が対象。

選手の方が上に立つようなリクルートはしなかったんですね。

地元に焦点を当て、“家族や友人が試合を観戦できる” というのを最大のセールスポイントとしていたようです。

 

また、クージーは、自分がスカウトしてボストン・カレッジに入学した選手全員が学位を取得し、卒業後も良好な関係が続いていることを誇りに思っていましたが、その一方、他校の多くの選手が、卒業するとスカウトした側からすぐに忘れ去られてしまうことにも心を痛めていたんだとか。

 

具体的にはわからないんですが、学業を無視しているかのような細かなルールをNCAAが課してくることに不満を感じていたという話もあります。