王62年オフ②

 

ルーカスは高校時代、円盤投げでも優秀な実績を残しています。

 

【話はこじれます】

 

ルーカスがロイヤルズのオファーを断ったのを受け、今度はABLのクリーブランド・パイパーズがルーカス獲得に動きます。

ソビエト遠征のときからルーカスに目を付けていたスタインブレナーは、「チームの株式の一部をあげる」「ルーカスのためにシーズンを短くする」など、ルーカスの希望(ビジネス・マーケティングの博士号も取りたかったとか)に添った条件付の契約を提示。

ルーカスはこれを受け入れ、年俸1万ドルの2年契約+投資ポートフォリオから4万ドルを受け取る、という契約を結びました。

 

契約締結は62年5月16日。

ルーカスはこれをスポーツ・イラストレイティッド誌上で発表します。

 

ルーカス曰く、ロイヤルズのオファーは10万ドル相当の3年契約。

パイパーズのオファーの方が少ないんですが、自身にとっては学位取得と大学院進学の希望を果たすことが重要だったとのこと。

投資先の企業の一部が、バスケットのキャリアが終わった後のルーカスを雇う意向を示していたのも影響したようです。

 

しかし、ここで問題が起こります。

パイパーズのオーナーであるスタインブレナーが、お金を用意できなくなってしまうんですね。

 

この当時、スタインブレナーは訴訟を抱えており、また実質的にスタインブレナーの資金を管理していた彼の父親は、息子を助けるための資金援助をしませんでした。

 

スタインブレナーはルーカスのサラリーと株式をエスクロー口座に預けていなかったため、結果的に”約束しただけ”のようなかたちになってしまいます。

これによってルーカスは、幸か不幸か”好きなチームと契約できる”とされました。

(この62年は、上半期にウォール街の株価が下落。ルーカスは株での損失もありました)

 

ここで動いたのがNBAコミッショナーのモーリス・ポドロフ。

NBAはまだまだ財政的に厳しく、集客力のありそうなルーカスは、リーグにとっても欲しい選手なんですね。

 

ポドロフはスタインブレナーに「パイパーズのNBA参入」を提案。25万ドル+履行保証金を払えば、NBAに加盟できると伝えたんですね。

これによりパイパーズは、同じくABLのカンザスシティ・スティアーズと合併してNBAに参入する話が進みます(来るシーズンのスケジュールにも組み込まれていたそう)。

 

しかし、今度はABLがパイパーズの動きに反対し(訴訟をちらつかせたとか)、ロイヤルズもパイパーズに対してお金を要求。

ABLは、パイパーズというチャンピオン・チームを失うわけにはいかないんですね。

 

スタインブレナーは諸々必要になった大金を工面することが出来ず、62年8月に取引は消滅したのでした。


【もっとこじれます】

 

パイパーズへの提案が失敗したポドロフは、次は直接ルーカスに働きかけます。

ルーカスの元へ向かい、”NBAでプレイして欲しい” ”好きなチームと契約できるよ”と口説くんですね(お金も希望額を払うと示したとか)。

 

しかし、ルーカスは、”クリーブランドでプレイしたい”としてポドロフの申し出を拒否。

これはスタインブレナーに対する忠誠心であり、NBAの曖昧さが気に入らなかったということでもあるようです。


ロイヤルズは強引なオファーをせず。

副社長のトム・グレイスは、「私たちはバスケットボールのビジネスに関わっており、彼は私たちにとって価値のある存在となるだろう。ルーカスがプロとしてプレイすることに興味があるか、本人から聞いてみたい。訴訟を起こすつもりはないよ」としました。

 

ニックスがドラフトで指名したポール・ホーグ(シンシナティ大出身)とルーカスがトレードされるという噂もありましたが、これも起こりません。

 

【こじれた末に…】

 

ABLコミッショナーのエイブ・サパーステインは、「ABLのパイパーズ、スティアーズ、ピッツバーグ・レンズのNBA加盟が可能か?をポドロフに尋ねる手紙」をある記者に見せたとされました。

また、サンフランシスコ・セインツのオーナー、ジョージ・マッキオンはスタインブレナーに金銭を提供しました。

 

しかし、ABLはもう上手くいきません。

スタインブレナーはパイパーズを解散して、破産を宣言。

ABLも62年の年末に消滅します。

 

さて、2つのリーグに請われたルーカスは、62年8月末、ハワード・マークス(クリーブランドの広告業者)と3年契約を結びました。

マークスは63~64シーズンにNBAのチームを持ちたいと考えており、ルーカスは大学を卒業したらアンバサダー兼スカウトとなる話だったようです。

 

ルーカスはNBAでプレイしたくない理由を、「プロバスケットボール選手の生活に耐えられるとは思えない」「最悪なのは遠征だ。多すぎる。それに試合数も多いね。シーズンが終わる頃、選手たちは疲れ果てている。あんなのは僕のやりたいことじゃない」と説明。

また、”どうしたらいいのかわからないけれど、プロバスケット選手にならずに自分のやりたいことをやりたい”という主旨のコメントも残しており、まずはその方向で動き出したということでしょうか。 

 

因みに、シンシナティでのプレイを拒んだのは、オスカー・ロバートソンに対するリスペクトという話もあります。

(自分がロバートソンよりも稼ぐべきではないと考えていたんだとか)


【補強】

 

①ドラフト2巡目第13位でバド・オルセンを指名。

ラリー・ステイバーマンをゼファーズに出して、デイブ・ピオンテックを獲得。

③63年の2巡目指名権をレイカーズに出して、トム・ホーキンスを獲得。

ベヴォ・ノードマンをホークスに放出。

ダン・タイマンと契約。

 

オルセンはルイビル大出身のPF(6フィート7インチ)。

カレッジ時代はCでした。

この人は高校がオハイオ州の学校です。

 

出戻りのピオンテックは、昨シーズンは、エクスパンション・チームのパッカーズでプレイしていました。

 

ホーキンスはキャリア3年のSF(6フィート5インチ)。

レイカーズはFにエルジン・ベイラー、ルディ・ラルーソがいましたが、平均20分以上のミニッツを得ていました。

 

タイマンは6フィートのルーキーPG。

高校時代は野球とバスケットで活躍し、カレッジはマイアミ大からの部分的な奨学金のオファーを断って、ヴィラ・マドンナ・カレッジ(現トマス・モア・カレッジ)に進みました。

ABLのスティアーズからもドラフト指名されたんですが、トライアウトの準備をしていたタイミングで、カレッジ時代のコーチであるチャールズ・ウルフHCの誘いを受けてロイヤルズに来ました。

 

因みに、デイブ・ゼラーはマイアミ大に戻って修士号を取得。

その後は高校のコーチなどを務めています。

 

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来るシーズンからウォリアーズがサンフランシスコに移転。

これを受けて、ロイヤルズはイースタン・ディビジョンに移ることになりました。

 

イースタンの他のチームは[ボストン、ニューヨーク、シラキュース]。

シンシナティから距離的にいちばん近いのがシラキュースなんですが、930キロほど離れており(有明駅と旭川駅くらい)、地理的に不利かもしれません。