万博といえば「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」ですよね。数少ない、泣いた映画です。笑

 

 

ガー・ハード

 

ルイジアナ州の高校、オクラホマ大を経て70年のドラフト3巡目第40位でソニックス入り。6フィート6インチ・219ポンドで鼻っ柱の強いFで、大学時代は通算アベレージは平均15.6点・11.2リバウンドである。

最初の2シーズンをレニー・ウィルケンス率いるソニックス、続く1シーズンをディック・モッタ率いるブルズで過ごし、更にブレーブスへ移籍。ブレーブスでは移籍1年目にはキャリアハイの平均15.3点・11.7リバウンド・2.2ブロックをマークした。75~76シーズンの半ばにはサンズへ移籍。このシーズンはスケジュール上、歴代3位となる86試合に出場している。このシーズンのサンズはファイナルに進んでおり、ゲーム5でトリプル・オーバータイムに持ち込む18フィートのブザービーターを決めたシーンは有名である。ハードはこれによって「ザ・ショット・ハード・アラウンド・ハード」という愛称を得た。

サンズで4シーズンちょいプレイし、80~81シーズンをクリッパーズで過ごして引退。その後は82~83シーズンにアリゾナ州立大のACを務めたのを皮切りにコーチ業をスタート。87年にジョン・マックロードのACとなり、89~90シーズンの途中からはマブスでリッチー・アドゥバトのスタッフ入り。92~93シーズン半ばにはアドゥバトの解任を受け、暫定HCを務めた(9勝44敗)。93~94シーズンにはラリー・ブラウンのACとしてペイサーズへ。4シーズンを過ごし、ブラウンが97年にシクサーズのHCに就いたときには、ハードも同行した。98~99シーズンに、(ブラウンの愛弟子のひとりでもある)アルビン・ジェントリーがピストンズのHCとなったのを受け、ハードはそのACに就任。

99年オフにはウィザーズの新HCに就任。しかし、成績はふるわず、シーズン途中にフロント入りしたばかりのマイケル・ジョーダンによって解任され(ジョーダン初仕事)、00年オフにはホークスの新HC、ロン・クルーガーのACとなった。

 

ジェフ・ピートリー

 

シューター。6フィート4インチのスウィングマンで、まだ3ポイント・ラインのない時代に、それくらい遠くからでもシュートを決めることが出来た。70年のドラフト1巡目第8位でブレイザーズ入り。ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞し(デイブ・コーウェンスとダブル受賞)、オールスターにもキャリアを通じて2度選出された。05年にデイモン・ストウダマイヤーに更新されるまで、ブレイザーズの1試合最多得点の記録も保持していた(51点)。背番号45は永久欠番でもある。

引退後はキングスのフロントにいたのが有名で、優勝は出来なかったが、強さと楽しさを兼備した魅力的なチームを作った。エグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーを2度受賞している。

 

ジム・マクミラン

 

コロンビア大出身。6フィート5インチのFで、マクミラン在籍時の同大は3シーズンで63勝14敗という成績であった。「ジミー・マック」の愛称で知られ、通算1758点・平均22.点はともに同大史上2位の記録である。

70年のドラフトでは1巡目第13位でレイカーズ入り。同年、(当時)ABAのネッツからも指名されたが、レイカーズを選んだ。2年目には、69勝13敗という歴史的な好成績を残したチームで活躍。このシーズンは序盤にエルジン・ベイラーが、故障を理由に引退しており、その後を継いで先発に入ったのがマクミランであった。69勝13敗という成績は、96年にブルズが更新するまでリーグの最多勝記録で、シーズン中に達成した33連勝というのは今でもリーグ記録である。このときは、マクミラン自身もプレイオフで平均19.1点をあげるなど充実していた。

ブレーブス、ニックス、ブレイザーズでもプレイし、80~81年をイタリアで過ごして現役を引退した。

 

ネイト・アーチボルド

 

ニックネームは「タイニー」。6フィート1インチのPGで、見事なペネトレイターであり、パサーであり、レンジの広い優秀なシューターでもあった。当時としても小柄だったが、そのクイックネスと技術は並外れており、守りにくい選手だったという。

テキサス大エルパソ校の出身で、70年のドラフトでは2巡目第19位でキングスに入団(当時はまだシンシナティ・ロイヤルズ)。73年には史上唯一となる、1シーズンで得点王とアシスト王の両方に輝いた(68年にオスカー・ロバートソンも達成しているが、その頃はアベレージではなく、シーズンの通算でリーグ・リーダーが決まっていた)。80~81シーズンには、まだ2年目だったラリー・バードとともに優勝を経験。オールスターには7度選出され、81年にはMVPも受賞した。オールNBAチームの常連でもあり、91年に殿堂入り。96年にはNBAの偉大な50人にも選ばれた。

 

ハウウィー・ライト

 

オースティン・ペイ州立大出身のPG。70~71シーズンにABAのケンタッキー・カーネルズでデビューし、52試合(試合総数は84試合)で平均4.6点をあげた。因みに同期入団に、ダン・イッセルがいる。71~72シーズンは僅か1試合しかプレイせず、NBAのチームでもプレイ経験はない(70年のドラフト2巡目第34位でニックスに指名されているが)。