ニュースを見てると相撲って謎が多いです。
トニー・ブラウン
アーカンソー大出身のF。ドラフト4巡目でネッツから指名されるが、NBAデビューは84~85シーズン、ペイサーズでとなった。ルーキーイヤーは全82試合に出場するも、そこからジャーニーマンとしてキャリアがスタート。91~92シーズンを最後に引退するまでに9チームを渡り歩いた。キャリアベストはネッツに在籍した86~87シーズンで、このときは主にスターターとして起用されて平均11.3点をマーク。エキシビジョン・ゲームでレフェリーと衝突して右アキレス腱を断裂し、翌シーズンを全休したのが悔やまれる。
CBAでの経験も豊富で、プロデビューとなった82~83シーズンは平均21.9点をマーク。オール・ディフェンシブ2ndチームにも選ばれている。NBAを離れた後はイタリアでも2シーズンプレイしている。引退後はコーチとして働いている。
テリー・カミングス
6フィート9インチのPF。デポール大出身で、82年のドラフト1巡目第2位でクリッパーズ(当時はまだサンディエゴ)に入団した。1年目にいきなり平均23.7点・10.6リバウンドをマークして新人王を受賞(ともにキャリアハイ)。84年オフにはバックスへトレードされ、ここでも活躍。85年と89年にはオールスターにも出場した。この当時はリーグ有数のPFのひとりとして数えられるほどであった。89年にはスパーズへ移籍。個人成績は若干落ちたが、デビッド・ロビンソンを支え、チームの躍進に一役買った。
厳しかったのは92~93シーズン。このシーズンは新任のジェリー・ターカニアンHCに先発から外され(ターカニアンはすぐ解任)、その直後のマブス戦で膝を故障。そのままシーズンの残りを欠場した。プレイオフには戻ってくるが、故障以前のレベルではなく、翌シーズンからはデニス・ロドマンの控えとしてプレイ。95~96シーズンは古巣バックスに戻った。
96~97シーズンは開幕後にインサイドが人手不足だったソニックスと契約。主にCとして起用された。97年オフにはシクサーズと契約。アレン・アイバーソンら若手のメンターとしてベテランの味を見せていたが、トレード期限にニックスへ移籍。オフには更にウォリアーズへトレードされた。00年に現役を引退。
キャリア晩年の衰えは顕著だったが、不慣れなCでもいいプレイを見せていた。難点はディフェンスでリバウンドも少ない。ショーン・エリオットの結婚式で牧師を務めたこともある。
ドミニク・ウィルキンス
「ニーク」「ヒューマン・ハイライトフィルム」の愛称で知られた殿堂入り選手。リーグ史に残るスコアラー、ダンカーであり、背番号21はホークスの永久欠番でもある。
パリ生まれのウィルキンスは高校時代からスターで、ジョージア大に進学。そして82年のドラフト1巡目第3位でジャズに指名された。しかし、ジャズの金銭的な事情とウィルキンスがユタでのプレイに乗り気でなかったことから、ドラフトの数ヶ月後にはジョン・ドリュー、フリーマン・ウィリアムス、金銭と交換でホークスへトレード。そして、ここから約11シーズンをアトランタで過ごすのである。
ルーキー・シーズンはまずまずの活躍でオール・ルーキー1stチーム入り。2年目には得点・リバウンド・スティールでチームをリードし、3年連続となるプレイオフ進出に貢献した(1stラウンドで敗退)。因みにこのときのHCは、チーム5代目のHC、マイク・フラテロである。3年目はインディアナポリスで行われたスラムダンク・コンテストで優勝し、スコアラーとしても成長していくが、チームは34勝しかできず、プレイオフにも出られなかった。
飛躍の年となったのは翌85~86シーズン。スラムダンク・チャンピオンはチームメイトのスパッド・ウェッブに譲ったが、平均30点オーバーで初の得点王となり、オールスターとオールNBA1stチームに初選出。チームも50勝をあげ、プレイオフでも1stラウンドを突破した(ピストンズを撃破)。セミファイナルではセルティックスに歯が立たなかったが、実りのあるシーズンであった。
86~87シーズンは、ホークスの選手としては81年のエディ・ジョンソン以来となるオールスター先発出場を達成。チームもフランチャイズ記録となる57勝をあげた。ただ、プレイオフでは結果を残せず、またしてもセミファイナルで姿を消している(ピストンズに敗れた)。87~88シーズンはチーム史上初めて1シーズンに3度プレイヤー・オブ・ザ・ウィークに選ばれた選手となり、オールNBA2ndチーム入り。しかしチームは再びセミファイナルで、今度はセルティックスに敗れてしまう。ゲーム7ではウィルキンスが47点、ラリー・バードが34点中20点を第4Qにあげる激戦となったが、ホークスはあと一歩及ばなかった。ウィルキンスはこの試合について「ゴールが井戸のように見えたよ。俺もバードもミスできなかった。今まで最高のゲームに入るね。お互い本当に負けたくなかったんだ」とコメントしている。
88~89シーズン。より上を目指すためにモーゼス・マローンとレジー・セウスを獲得するが、ケビン・ウィリスが足を骨折してシーズン全休となってしまい、結果1stラウンド敗退。翌89~90シーズンは勝率5割止まりでプレイオフには出られず、フラテロは解任された。ハイライトはウィルキンスが2度目のスランダンク・チャンピオンになったことくらいだろうか(決勝の相手はケニー・スミス)。
90~91シーズン、ウィルキンスはリバウンド、アシスト、3Pでキャリアハイを更新。チームも2シーズン振りのプレイオフ進出を果たすが、またしても1stラウンドを突破できなかった。翌91~92シーズンはアキレス腱の怪我によりシーズンの約半分を欠場。それは92年1月28日のシクサーズ戦での出来事で、多くの人は「これでウィルキンスのキャリアは終わった」と考えた。このシーズンは、1試合でFT23本をすべてミスなしで成功させた(リーグ記録)他、シーズン最多の52点に通算2万得点をマーク。オールスターにも選出されており、惜しまれる怪我だった。
しかし、ウィルキンスはここから復活。翌92~93シーズンは故障前を上回る成績を残し、ボブ・ペティットの保持していたチームの通算得点記録を更新。オールNBA2ndチームにも選ばれた。ところが続く93~94シーズン、ウィルキンスは例年通りのスタッツを残し、チームも36勝16敗と好調だったにもかかわらず、シーズン途中にダニー・マニングと交換でクリッパーズに放出されてしまう。ウィルキンスには、チームを勝利に導けない・スコアラーとしては一流だがそれ以外が物足りない・ディフェンスに難がある、といった評価があったようで、また、新任のレニー・ウィルケンスHCはマニングの方がより多彩でチームを助けてくれると踏んでいたようでもある(ホークスはこの後イーストの第1シードを奪取するがセミファイナルで敗退。オフにはマニングも移籍する)。
移籍後のウィルキンスは、低迷するチームとは対照的に好調を維持。そしてオフに契約が切れるとセルティックスと契約を結んだ。当時のセルティックスは若手とベテランが入り交じった状態で、ウィルキンスの役割も微妙。95年のオフにはギリシャのパナシナイコスに移籍した。ここでは、なんとキャリアを通して初めて優勝を経験。「どんなレベルであっても優勝するのは素晴らしい」と喜びを語っている。
96年オフ、強豪スパーズと契約してNBAに復帰。NBAでも優勝に近づくかと思われたが、このシーズンのスパーズは主力の故障が相次ぐ非常事態で、チームは下位に落ち、峠を過ぎたウィルキンスがチームの得点王となるなど、予期せぬ結果となった。翌97~98シーズンはNBAを再び離れ、ロックアウト明けの98~99シーズンをマジックで過ごして引退。このときは見るからにオーバーウェイトでキレがなく、戦力にはなっていなかった。実弟のジェラルドとチームメイトになったのが唯一のトピックであろう。
あらゆるスタイルで得点を稼ぐ生粋のスコアラー。NBAでは優勝に縁がなかったが、その実力は誰もが認めるところであり、96年に発表されたNBAの偉大な50人から漏れた際には、マイケル・ジョーダンをはじめとした多くの関係者から疑問の声が上がった。また先にも述べたが、ウィルキンスの真骨頂といえるのがパワフルなダンク。片手・両手のどちらでもできたウィンドミルなど、バリーエーションも豊富だった。
94年にはドリーム・チームⅡの一員として金メダルも獲得(世界選手権)。また、「キャリア最後の957試合でファウル・アウトなし」という歴代3位の記録も持っている(1位はモーゼス・マローン、2位はウィルト・チェンバレン)。
クインティン・デイリー
サンフランシスコ大出身で6フィート3インチのG。キャリアの多くをオフコートの問題で台無しにした選手のひとり。まずひとつはレイプ問題。この件に関しての世間の目は厳しく、82年のドラフト1巡目第7位でブルズがデイリーを指名した際、チームのチケット・オフィスに女性のための国際組織から抗議があったという。そしてもうひとつがドラッグ問題。これによってデイリーは多くの試合を欠場しており、84~85シーズン中にはコカインの使用がきっかけで病院に運ばれたこともあった。健康なときはいい選手でもあったのだが…
SGとしては小さかったが得点力が高く、1年目は控えながら平均15.1点をマーク。オール・ルーキー1stチームに選ばれた。2年目にはシーズンの半分を控えとしてプレイしながら、平均18点を上回る成績を残している。86年オフにはクリッパーズに移籍。2シーズンを控えとして過ごし、88~89シーズンには先発としてもやれることを示した。しかし89年に移籍したソニックスでは、故障やドラッグの問題などで多くの試合を欠場。3シーズンで僅かに71試合しかプレイしなかった。通算得点は7470点。
キース・エドモンソン
6フィート5インチのSGでパデュー大出身。1巡目第10という高順位で指名されるも期待に応えることはできず、1年目が終わるとスパーズへ移籍。2年目のシーズン途中には更にナゲッツに移籍した。スパーズでは平均8.7点・FG成功率49%と悪くはなかったが、ナゲッツはいいところがなく、短いNBAキャリアを終えた。
デビッド・サードキル
ドラフト1巡目第15位でサンズ入り。ブラッドリー大出身のSFで、82~87年まで5シーズンをNBAでプレイした。83年オフに2つのドラフト2巡目指名権と交換でピストンズに移籍すると出番は激減。3年目の84~85シーズンはピストンズ、バックス、スパーズと渡り歩いた。85年オフにはセルティックスと契約。この年のセルティックスはリーグ史に残るチャンピオン・チームであり、あまり戦力とはならなかったが、その一員となったのはハイライトであろう。NBAでは1度も1シーズンに50試合以上プレイしたことがない。87年にはイタリアへ飛び、その後はイスラエルなどでプレイ。96年に現役を引退した。
