年の瀬ですね~こんにちは。


歌番組みていていつも思うんですが、テレビ朝日(Mステ)のカメラワークやステージのセット?がいちばん好きです。個人的にうまいな~ちゃんとしてるな~すごいな~と思います。

いちばんアレだなと思うのは・・・




BJ・タイラー


スピードのあるPG。テキサス大オースティン校の出身で、当時はテレンス・レンチャーと小型バックコートを組んでいた。ドラフトでは1巡目第20位でシクサーズに指名され、ルーキーイヤーはディナ・バロスのバックアップとして55試合に出場した。そのオフにはエクスパンション・ドラフトでラプターズに移籍するが、膝の故障で95~96シーズンを全休し、そのままリーグを去った。あるジャーナリストの著書によれば、アイシングで膝が不活発になってしまい、引退せざるを得なくなったとのことである。


エルドリッジ・リカズナー


6フィート3インチのコンボガード。ワシントン大を卒業後、ドラフトにはかからず、94~95シーズン途中に10日間契約でナゲッツに加入。3試合だけだがプレイした。転機となったのがロケッツに移籍した2年目。シーズン序盤はいつ解雇されてもおかしくないような状況だったが、主力の相次ぐ故障を受けて、出場機会が増加、アウトサイド・シュートを武器にいいつなぎを見せた。この活躍を買われてか、そのオフにはホークスと契約。98年には更にホーネッツへ移籍した。

2年目以降は流れを変えるインスタント・スコアラー的な働きを見せていたが、99~00シーズンを故障などで75試合休むとキャリアは急降下。因みにこのときの怪我は、チームメイトのデリック・コールマンの運転する車に乗っていて事故に巻き込まれたのが原因で、なんとも不運であった(コールマンは故障者リスト入りせず)。翌シーズンはバロン・ディビスの台頭などでもはや居場所はなく、01~02シーズン開幕直後に解雇。クリッパーズにもいったん拾われるが、ここでもすぐに解雇されている。

通算の3P成功率は40%超えるシューターで、スピードもある。CBAあがりで成功した一例。


クリス・チャイルズ


タフなPG。ボーズ州立大を卒業するが89年のドラフトにかからず、CBAでプロ・キャリアをスタートした。ここでは最初の3シーズンで5チームを渡り歩くなど苦難の船出だったが、最後に在籍したクアドシティー・サンダーには定着。94年にはリーグのタイトルとMVPを受賞した。そして、94年にネッツと契約。2年目の95~96シーズンには契約問題などで精彩を欠くケニー・アンダーソンから出場機会を奪い、そのアンダーソンがシーズン途中にトレードされてからはスターターとして活躍した。

これで評価を上げたチャイルズは、そのオフ、優勝を狙うニックスと契約を結び、スターティングPGを任された。期待通りの働きを見せることができず、シーズン終了後に「ベンチ・スターにとして欲しい」とジェフ・ヴァンガンディHCに直訴、チャーリー・ウォードのバックアップとなるが、この頃がチャイルズのプライムタイムであった。小手先でプレイしないタフなスタイルは、この当時のニックスのカラーにフィットしており、99年のファイナル進出時の主力でもある。

00~01シーズンのトレード期限にはラプターズへ移籍。若いチームにおいてチャイルズの経験とタフさは非常に効果的であった。02年には古巣ネッツと契約を結ぶが、開幕時にオーバーウェイトでコンディショニングができておらずに不評を買い、まさかの出場停止処分。復帰後のプレイも散々で、僅か12試合プレイしただけで解雇され、そのまま現役を引退した。オール・インタビュー・チームに選ばれたり、グッド・ガイ・アワードを受賞したりするなど、オフコートでも活躍していた。

鼻っ柱の強い選手で、レジー・ミラーやコービー・ブライアントといったスターに喧嘩を売ることもあった。ただ、勝負度胸はあるおのの、プレイの精度やゲームメイク、状況判断は今ひとつである。


クリフォード・ロズィアー


1巡目第16位でウォリアーズ入り。ノースカロライナ大とルイビル大でプレイした6フィート11インチのビッグマンである。キャリア最高のシーズンはプロ1年目。このときは成績だけでなく、サンズ戦でバークリーを相手に見事なディフェンスを見せ、インパクトを残すことに成功した。しかし、2年目以降はあまりいいところがなく、3年目に解雇。直後にラプターズに拾われ、翌シーズンもウルブズと契約を結んだが、いずれも短期間であった。スピードとパワーを兼ね備えているが、技術に欠けた。


ジェイミー・ワトソン


ドラフト2巡目第47位でジャズ入りしたスウィングマン。1年目はスラムダンク・コンテストに出場したのが恐らく唯一の見せ場で、実戦では結果を残すことができなかった。しかし、2年目はブライオン・ラッセルの台頭やクリス・モリスの加入のためか、そこから状況が悪化。僅か16試合しか出られず、3年目の開幕後に解雇された。直後に弱小マブスに拾われるが、ここでも生き残ることはできなかった。98~99シーズンには3試合だけヒートでもプレイしている。


ドントニオ・ウィングフィールド


ドラフト2巡目第37位でソニックス入りしたSF。シンシナティ大で1年プレイした後のアーリー・エントリーで、94~95シーズンの最年少選手となった。SFとしてはやや大きく、一方で3Pも打てるなどマルチな選手として期待されたが、1シーズン(20試合)だけで見切りを付けられ、オフのエクスパンション・ドラフトではプロテクトされなかった。このときはラプターズに指名されるが開幕前に解雇されてしまい、最終的にブレイザーズと契約。しかし、まったく結果を残せず、97~98シーズン終盤に解雇された。

98年夏にはガールフレンドへの暴力で逮捕され、1年の実刑を下されている。


アーロン・マッキー


01年にシクサーズがファイナルに進んだときの主力。PG~SFまで3つのポジションをこなすことが出来る。テンプル大出身で、3年次終了後にアーリー・エントリー。3年間はすべての試合を務めており、当時はエディ・ジョーンズとチームメイトであった。そしてドラフト1巡目第17位でブレイザーズ入り。1年目は序盤こそ故障で出遅れたが、クライド・ドレクスラーの移籍以降は出番も増え、スターターにも名を連ねるようになった。

96~97シーズン序盤にはピストンズへトレードされ、翌シーズンの半ばには更にシクサーズへトレード。この当時はあまり目立たなかったが、98~99シーズンにエリック・スノウとアレン・アイバーソンのバックコートが確立されてから少しずつ役割が拡大。チームに欠かせない6マンとなり、チームがファイナルに進んだ00~01シーズンには、シクサーズでは83年のボビー・ジョーンズ以来となる6マン・アワードを受賞した。このシーズンは2試合連続トリプルダブルもマークしている。

しかし、翌01~02シーズン以降は、チームが補強の失敗や主力の故障で上手く機能せず、マッキーも少しずつトーンダウン。04~05シーズンには若手の加入もあってチームの構想から外れ、05年8月、新労使協定の一部であるアムネスティ・ルールによって解雇されてしまった。まだ32歳だったマッキーは、同オフ、レイカーズと契約を結ぶが、ここでは故障とフィル・ジャクソンHCの方針から2年間で14試合しか出られず、07年に現役を引退した。

引退後はすぐに古巣シクサーズのACに就任。余談だが、マッキーは公式に引退をリーグに伝えていなかったため、AC就任後も選手としての登録が残っており、08年2月にレイカーズとグリズリーズの間でトレードが行われた際、クワミ・ブラウンやジャバリス・クリッテントンと一緒にグリズリーズへ放出された。これはルールの裏を突いたやり方で、直後にマブスも同様の手を使ったためにちょっとした議論になった。もちろんプレイはしていない。

複数のポジションに入れることが最大の長所で、スノウ&アイバーソンと一緒にプレイすることでマッキーの良さも引き出されていた印象。リバウンドやディフェンスも良く、ラリー・ブラウンには重宝されていた。シュートはモーションが遅く、若い頃はあまり良くなかったが、キャリアを経るごとに確実性を増していった。


アンソニー・タッカー


ウェイクフォレスト大出身のやや大柄なSF。当時はロドニー・ロジャースらとチームメイトだった。92年に同大を卒業するがNBAのドラフトにかからず、念願のNBAデビューは94~95シーズンのブレッツであった。成績は目立ったモノではなかったが、主力の故障などからスターターとしても起用されるなど一定の出場機会を確保、ルーキー・オールスターにも出場した。ただ、シーズン終盤に解雇されており、翌シーズン以降はCBAへ。NBAへ戻ってくることはなかった。


ライアン・ロースリッジ


ジャクソン州立大出身のG(6フィート4インチ・190ポンド)。95年の年明け頃にウォリアーズと10日間契約を結び、シーズンの残りをプレイした。加入当初はキース・ジェニングスとバックアップGの座を争っていたが、シーズン終盤はティム・ハーダウェイの欠場で出場機会が増え、4月の得点アベレージが2桁を超えるなど、健闘を見せた。シーズン通算では平均7.4点。サウスポー。NBAでプレイしたのはこのシーズンだけである。


イバノ・ニュービル


スローなPF。ジョージア工科大出身。ドラフトにはかからず、94年オフにピストンズと契約。FG成功率・FT成功率ともに40%に届かないなど散々な出来だったが、何とか1シーズン生き残った。1シーズン空いて、96年にはホークスと契約。紙のように層が薄かったホークスでは72試合に起用されるなど、キャリア最高のシーズンを過ごした。翌97~98シーズンをグリズリーズで過ごしたのがNBAでの最後。カレッジ時代も特筆すべき成績は残していない。