この「年度別ドラフト組エントリー」、昔自分が趣味で書きためていたのを、ほぼコピペしてアップしてるんですが、段々思い出してきました。

「これを書いてる時点でNBAでのキャリアを終えてる選手」という括りで書いてたので、90年代後半はマニアックな選手しかいません。たしか2008年くらいに書いたので・・・




ブライアン・エヴァンス


サウスポーの3Pシューター。6フィート8インチ・220ポンドとシューターとしてはやや大柄で、インディアナ大出身。当時ケンタッキー大のHCを務めていたリック・ピティーノも高く評価していた模様。ドラフト1巡目第27位でマジックに入団するも1年目は出番があまりなく、2年目は開幕からスポット的に起用されるが、肝心のシュートが決まらなかった。2年目の途中にネッツにトレードされ、3年目の途中には更にウルブズへトレード。それ以降はイタリアなどでプレイした。

頭の良い選手だが、スピードがなく、NBAではシューターとしての価値を見せるところまでいかなかった。


ドンテ・ジョーンズ


ミシシッピ州立大出身のSF(コミュニティ・カレッジでも2年プレイ)。96年のSECトーナメントの決勝でケンタッキー大を破ったときの主力で、そのときはトーナメントのMVPに選ばれた。ドラフトでは1巡目第21位でニックス入りするが、1年目は故障のために全休。プレイオフのヒートとのシリーズで、乱闘騒ぎの際にベンチから飛び出して処分を受けたのがハイライトである。翌シーズンの開幕直前にセルティックスへトレードされ、いよいよNBAデビューを果たすが、ほとんど起用されなかった。

翌シーズン以降はギリシャやトルコなど各国のリーグを転々とした模様。跳躍力があり、速攻のフィニッシャーとしては魅力的だが、距離のあるシュートは微妙。「Dontae'」のアポストロフィーは母親が故意に付けたのだそう。


ドナルド・ホワイトサイド


5フィート10インチ・160ポンドのPG。ノース・イリノイ大を卒業後、NBAのドラフトにはかからず、92~93シーズンはNBL(オーストラリアのリーグ)でプレイ。その後はバスケットを離れ、学校の教師を務めていた。しかし、夢を諦めきれずに96年にラプターズのワークアウトを受けて合格。念願のNBAデビューを果たした。ラプターズでは27試合に出たが、初めてスターターを務めた試合の直後に解雇された。97年にはホークスと契約を結ぶが、11月頭にすぐ解雇されている。


ドリュー・バリー


殿堂入り選手であるリック・バリーの三男。ジョン・バリー、ブレント・バリーの弟で、スクーター・バリーの兄である。ジョージア工科大の出身で、アシスト数は同大の歴代トップである。4年次はステフォン・マーベリーの加入で、コンボガード的な役割であった。ドラフトでは2巡目第57位でソニックスに指名されるがロスターに残れず、プロ1年目はCBAとなった。NBAでは翌シーズンから99~00シーズンにかけて解雇・契約を繰り返しながら、幾つかのチームを渡り歩いた。


ロイ・ロジャース


アラバマ大出身のPF。1巡目第22位で創設2年目のグリズリーズに入団した。カレッジ時代からブロックに定評があり、1年目は同ポジションにライバルのいない環境も手伝ってか全82試合に出場。スターターも50試合で務め、ルーキー・オールスターのメンバーにも選ばれた。しかし、ブロック以外では存在感を見せられず、2年目はセルティックスで開幕。トレード期限にはラプターズへトレードされた。このシーズンは2チームで計15試合にしか出ていない。

そのオフにはロケッツ、ブルズと相次いでトレードされた末に解雇。98~99シーズンはNBAでプレイできなかった。99~00シーズンはナゲッツと契約を結ぶが、結果は残せていない。プロとして最後にプレイしたのは03年、ポーランドであった。


ジョン・ウォレス


6フィート8インチ・225ポンドのSF。シラキュース大を卒業後、1巡目第18位でニックスに入団した。カレッジ時代はスター選手で、特にオフェンス面の評価が高く、上位での指名が予想されていたのだが、何故か評価が落ちてしまった。理由については、コンディションが整っていない、母校の先輩であるデリック・コールマンと仲が良い、遅刻してフライトに間に合わなかった(素行)など幾つかの憶測がなされたが、明確な理由は不明である。ウォレスが指名されたとき、ニックスのファンは大喜びであった。

ルーキーイヤーは、ベテランの層が厚い強豪チームに入ったこともあるが、出来は散々。僅か1年で見切りを付けられ、オフにはラプターズへ移籍した。ここでは82試合中36試合でスターターとして起用され、平均14.0点をマークするなど大器の片鱗を見せたかにみえたが、翌シーズンはビンス・カーターらの加入でベンチへ逆戻り。99~00シーズンはニックスに戻り、00年にはマブスを経由してピストンズへ放出された。それぞれ、出番は非常限定的であった。

01~02シーズンをサンズで地味に過ごすと翌シーズンは遂にNBAでプレイできなかった。03~04シーズンをヒートで過ごしたのが見納め。中でプレイするタイプのSF。シュートエリアの狭さとディフェンスが難点か。PFをこなせれば、もっと活躍の場があったかもしれない。


エフティミアス・レンツィアス


6フィート11インチのギリシャ人C。トリカラ出身。プロキャリアのスタートは94~95シーズンで、母国のクラブ・チームであった。95年のワールド・チャンピオンシップでは19歳以下で構成されたナショナル・チームの一員としてプレイし、ステフォン・マーベリーらのいたアメリカを20点差で撃破してトロフィーの奪取に貢献。自身はMVPを受賞した。ドラフトでは1巡目第23位でナゲッツに指名されるが、ギリシャのチームの契約が残っていたためにNBAには行かないことを選択。

97~02年はスペインのFCバルセロナで過ごした。02~03シーズンにシクサーズでようやくNBAデビューとなるが、35試合に出てNBA史上2人目のギリシャ人選手となった以外、特に印象に残るものはなかった。翌シーズン以降は再びヨーロッパへ。キャリアの最後はギリシャに戻りたかったようだが故障してしまい、06年に30歳の若さで引退を強いられた。94・02年の世界選手権と、ギリシャ初参加となった96年のアトランタ・オリンピックではナショナル・チームのメンバーとしてプレイしている。

ヨーロッパのビッグマンらしくシュートが上手く、シュートエリアも広いが、相手の脅威となるほどではなかった。線が細く、NBAのインサイド・プレイヤーとしては小柄。


プリースト・ローダデール


7フィート4インチ・325ポンドの巨漢C。アメリカとブルガリアの国籍を持っている。セントラル州立大で1年プレイした後、カスカスキア・カレッジを経て(プレイはしていない)、95~96シーズンにギリシャでプロデビュー。そして、96年のドラフト1巡目第28位でホークスに指名された変わり種である。ルーキーイヤーは層の薄いホークス、2年目は弱小ナゲッツでプレイする運に恵まれたが、チャンスを活かすことは出来なかった。

00年代に入ってブルガリアでプレイしたのが国籍取得につながったとか。規格外のサイズが武器だが、技術が乏しい上に足が遅く、NBAでは通用しなかった。サウスポー。