11・12月でオケの本番が3つあります。観に行きたい演奏会も3つあります。がんばるます。




スコット・バレル


アメリカのアスリート史上初めて、2つのプロスポーツ・リーグからドラフト1巡目で指名された選手(NBAとMLB)。高校3年のときにマリナーズから指名されており、マリナーズはバレルをピッチャーとして育成したかったようだが、マイナー・リーグでプレイすることを提案されるも「マイアミ大で野球をしたい」という希望でそれを拒否。ところが同じ頃、コネチカット大のACからリクルートされ、コネチカット大でバスケットをすることを選択した。

1年次の終わりには、今度はトロント・ブルージェイズから指名され、夏の間だけマイナー・リーグでプレイすることを決意。バスケットとの両立が始まった。バスケットでも、NCAA史上初めて1500点・750リバウンド・275アシスト・300スティールをマークした選手となるなど、結果を残している。NBAのドラフトでは1巡目第20位でホーネッツ入り。1年目こそ平凡だったが、2年目にブレイク。スターターに定着し、MIPの投票で3位に食い込むほどの成長を見せた。

しかし、翌シーズンは故障で62試合を欠場。休んでいる間にロスター、HCなどが一新されてしまい、翌シーズン復帰したときには役割が限られてしまった。シーズン半ばにはウォリアーズへトレードされ、オフには更にブルズへトレードされた。ブルズでは、当初はチームに馴染まなかったが、次第に3Pとディフェンスで貢献。キャリア初のチャンピオン・リングを獲得した。98~00年は弱小ネッツでプレイ。00~01シーズンに4試合だけ古巣ホーネッツでプレイした後は、中国、日本などを渡り歩いた。


クリス・ジェント


6フィート7インチのF。オハイオ州立大を卒業後、ドラフトにはかからなかったが、93~94シーズンの終盤にロケッツと契約を結び、3試合だけの出場ながら平均10.3点をマーク。いきなりチャンピオン・リングを獲得する幸運に恵まれた。96~97シーズンにも3試合だけニックスでプレイしている。引退後は03年にシクサーズのACに就任したのを皮切りにコーチ業をスタート。04~05シーズンにはマジックのACとなり、ジョニー・ディビスがHCを解任されたときは暫定HCをも務めた。


ショーン・ブラッドリー


7フィート6インチのショットブロッカー。旧西ドイツのランツハル出身。アメリカのユタ州に移って州民権を獲得し、地元のブリガムヤング大に進んだ。ただ、プレイしたのは90~91シーズンのみで、その後の2年間はモルモンの不況活動に費やしている。そして、ドラフトではカレッジ経験がほぼ無いにもかかわらず、1巡目第2位でシクサーズに指名された。シクサーズでは、自身の身長とチーム名をかけて、「76番」を着用。チーム再建の期待を背負った。

しかし、ブラッドリーはその身長の割に235ポンドしかなく、柳のように細かったため、NBAのフィジカルさには苦戦。ブロックでは存在感を見せたが、全体的には期待を裏切ることになってしまう。3年目のシーズン序盤にはデリック・コールマンらとのトレードでネッツへ移籍。翌シーズンの半ばには大型トレードで、更にマブスへと放出された。当時、マブスのフロントにいたドン・ネルソンはブラッドリーの将来性にかなり期待をしていたようで、自身がHCになった後も大事に起用していた。

しかし、スティーブ・ナッシュやダーク・ノビツキーらの加入でチームが強くなると出場機会は減少。03年頃からは完全にベンチ・ウォーマーとなってしまい、その後、膝の故障もあって05年に現役を引退した。そのサイズと潜在能力から、マブスに移籍した頃くらいまではかなり期待されていた。得点力はそこそこだが、シュートタッチはビッグマンとしては柔らかかった。意外と熱くなりやすい性格で、試合中に小競り合いとなって相手を殴ったりしたこともある。

マブス在籍中にドイツ国籍を取得し、02年の世界選手権ではノビツキーと一緒に、同国を3位に導いた。引退後はディケンベ・ムトンボらと「国境なきバスケットボール」の活動に参加したこともある。ニックネームは「デススティック」「モルモン・マンティス」など。


ジョージ・ミュアサン


7フィート7インチの超巨漢C。ルーマニア出身。公式登録ではマヌート・ボルと同じ身長だが、厳密にはミュアサンの方が数ミリ高く、史上最も背の高いNBA選手である。因みに、ボル同様に両親の身長は平均的だが、ミュアサンの場合は下垂体の異常によるものだとか。母国で大学を卒業後フランスに渡って92~93シーズンをプレイし、そこでの活躍がNBAからも注目され、93年のドラフト2巡目第30位でブレッツに指名された。

2シーズン目には平均得点を2桁に乗せるなど成長を見せ、3年目にはMIPを受賞。FG成功率は58.4%をマークし、リーグ首位に立った。この当時のミュアサン、クリス・ウェバー、ジュワン・ハワードというブレッツのフロントラインは、ポテンシャルの高さも含め、インパクトがあった。しかし、97~98シーズンを膝の故障で全休すると、ロックアウト明けの98~99シーズンが始まっても復帰できず、そのまま解雇。シーズン終盤にネッツに拾われるが、結局1試合・1分しかコートに立つことが出来なかった。

99~00シーズンは開幕からネッツでプレイするが、もはやブレッツ時代のような貢献はなく、その後はフランスなどで少し現役を続けた模様。背番号77は、身長に因んでいる。サイズの割に器用な選手で、FTや打点の高いジャンプショットもまずまず。リバウンドも悪くなく、ボルとはタイプが違った。人柄も明るく、人気があり、マイケル・ジョーダンにひっかけて自ら「エア・ミュアサン」と称していたこともあった。


ニック・ヴァンエクセル


サウスポーのPG。ショーン・ケンプの母校でもあるコミュニティ・カレッジで2年過ごしたのち、シンシナティ大へ編入。ヴァンエクセル加入後の同大は強豪チームとなり、ファイナル4まで進んだ(ファブ・ファイブのミシガン大に敗れる)。ドラフトでは2巡目第37位でレイカーズに入団。実力は高く評価されていたが、カレッジ時代の素行の悪さに加え、ドラフト前のワークアウトをすっぽかしたことなどが評価を下げ、この順位まで落ちたと言われている。

プロ入り後はすぐにスターティングPGとして活躍。シュート・セレクションが悪かったり、94年からHCに就任したデル・ハリスと関係が良くなかったり、問題もあったが、ヴァンエクセルのようにルーキー時代から成功を収めたPGはあまりいない。4年目にシャックが加入するとレイカーズはウェストの強豪チームとなり、5年目には自身初のオールスター出場をも果たすが、そのオフ、ドラフト当日のトレードでナゲッツへ放出されてしまう。

シーズン途中にヴァンエクセルが故障したときに、代役を務めたデレック・フィッシャーが良い働きを見せたこと、プレイオフのある試合前のハドルで「カンクーン!」とヴァンエクセルが叫び、それをシャックが快く思わなかったこと、などがトレードの理由として噂された。ナゲッツではアントニオ・マクダイスとともにチームを牽引。移籍2年目にHCに就任したダン・イッセルは、「生きるも死ぬもヴァンエクセルと一緒だ」とまで言い切った。

しかし、プレイオフに出られるほどのチームまでは伸びず、01年にはマクダイスが故障。チームは低迷し、01~02シーズン半ばにマブスへ放出された。マブスはPGにスティーブ・ナッシュがおり、目当てはCのラエフ・ラフレンツの獲得であった。そのため、ヴァンエクセルはベンチ・スタートとなるのだが、この起用は上手く機能し、特に03年のプレイオフで見せた活躍は強烈なインパクトを残した。03年のオフにはウォリアーズへ移籍。

ここではスターターに返り咲くが故障もあってか不発。翌年のオフにはブレイザーズにトレードされ、更に05~06シーズンをスパーズで過ごして現役を終えた。得点力と爆発力を兼ね備えた選手で、先述のようにセレクションに難はあったが、当たると手のつけようがなかった。クラッチ・シューターとしても知られ、ビル・フィッチは「ベビーフェイスの殺し屋」と評している。ボストン・ガーデンでシュートを決めた最後のレイカーズの選手でもある。


アルフォンソ・フォード


6フィート1インチのG。ミシシッピ・バレー州立大学出身で、1年次に平均29.9点をマークし、NCAA全体の得点王となった。2年次も平均32.9点をあげ、ロヨラ・メリーマウント大のボー・キンブルに次ぐ結果を残した。フォードがカレッジ4年間であげた計3165点は、ピート・マラビッチ、フリーマン・ウィリアムス、ライオネル・シモンズに次ぐ史上4位の記録。4年間で、毎シーズン少なくとも平均25点以上をあげたのは史上初である。

しかし、NBAでは不発。ドラフトでは2巡目第32位でシクサーズに指名されるもロスターに残れず、93~94シーズンをソニックス、94~95シーズンをシクサーズでプレイ(計11試合)。それ以降はCBAやヨーロッパでキャリアを続けた。97年に白血病と診断されるが、そのまま現役を続行。カレッジ時代同様にスコアラーとして名を馳せた。しかし、04年8月に体調の悪化を理由に現役を引退。そこから2週間もしないうちに他界した。04年9月4日のことであった。

その年、ユーロリーグは「アルフォンソ・フォード・トップ・スコアラー・トロフィー」を設けている。プレイスタイルは完全にSG。身長の割に幅があるが、NBAのGとしてはスピードに欠けるかもしれない。


ロドニー・ロジャース


サウスポーのF。ウェイクフォレスト大の出身で、1巡目第9位でナゲッツに入団。1年目はほぼベンチ・スタートだったが、プレイオフでは1stラウンドで第1シードのソニックスを破るのに貢献している。2年目はラフォンゾ・エリスの怪我でスターターへ昇格。オフにはドラフト当時のトレードで、アントニオ・マクダイスと交換でクリッパーズへ移籍した。当時のクリッパーズはロールプレイヤーの集まりのようなチームだったが、ロジャースはスターターとして起用されることが多かった。

しかし、移籍4年目の98~99シーズンになると若手の加入や台頭で出場機会が激減。これによって99年オフ、サンズと契約を結んだ。サンズではベンチ・スタートだったが、6マンとして効果的に起用され、6マン・アワードを受賞。両方のFをこなせるロジャースの存在は大きかった。01~02シーズン半ばにはセルティックスへトレードで移籍。ここでも6マンとしてすぐに馴染み、チームの久しぶりのカンファレンス・ファイナルに貢献している。

そのオフ、ロジャースはFAとなるが、セルティックスはサラリーキャップをオーバーしていたため残留は難しく、ファイナルに進んだばかりのネッツに移籍した。ここでも6マンとして期待されたが、なんと不発。2シーズン在籍したが、それまでのような活躍を見せることはなかった。04~05シーズンをホーネッツとシクサーズでプレイしたのが現役の最後。6フィート7インチ・235ポンドという幅のある体格は一見PFだが、3Pが上手いなどプレイスタイルはSF寄りである。


アンドリュー・ゲイズ


恐らくオーストラリア人でもっとも有名なバスケットボール選手。メルボルン出身。18歳のときに母国のプロリーグであるNBLでプロキャリアをスタートし、新人王を受賞。以降、元選手でもある父リンゼイ・ゲイズの指揮するメルボルン・タイガースに長く在籍した。ゲイズはチームを2度のチャンピオンに導いている。国際舞台での経験も豊富で、オリンピックには5度も出場(ロサンゼルス~シドニー)。シドニー・オリンピックでは開会式で旗手も務め、オリンピックの得点記録も保持している。

また、89年には渡米してシートンホール大でプレイ。同大はその年にNCAAファイナルまで進んだ。卒業後にソニックスのトライアウトを受けたときは生き残れなかったが、94年にブレッツと契約を結び、7試合だけプレイ。また、98~99シーズンにはスパーズでもプレイした。このときは故障もあってほぼ出番はなかったが、一応チャンピオン・リングを獲得している。NBAでは短命だったが、NBLでは05年までキャリアを続けており、同リーグ史上最も偉大な選手と言えるだろう。

シューター型のスコアラーで正確なアウトサイド・シュートが武器。アトランタ・オリンピックではシェーン・ヒールとともに3Pがよく決まり、アメリカを苦しめた。また、パスも上手く、90年代前半にはアメリカから来たラナード・コープランドとのコンビでファンを湧かせた。