ブラック好きだったなぁ。暗くていいんですよねw

仮面ライダーは初代~RXまでしかみてないですが、個人的にはブラックがいちばん好きです。




ジャック・ヘイリー


ジャーニーマンの白人ビッグマン。UCLA出身で、ドラフト4巡目第76位でブルズ入り。個人としては、89~90シーズンの途中から翌シーズンまで過ごしたネッツ時代がピーク。93~95年には、戦力にはなっていなかったが、スパーズでデニス・ロドマンと良好な関係を築いたことで有名になった。95年にロドマンがブルズにトレードされると、ヘイリーも後を追うようにブルズと契約。当時は「ロドマンのベビーシッター」といった表現もしばしば聞かれた。

このタイプのジャーニーマンとしては珍しく、デビューから毎シーズン、最低1試合はNBAでプレイした。端正なルックスと私服のコーディネートがお洒落?なことでも有名。ベンチで熱心に応援したり、タイムアウトのときにベンチに戻ってくるチームメイトを鼓舞したりする姿が印象深い。


ケニー・スミス


94・95年とロケッツが2連覇したときのスターティングPG。ノースカロライナ大出身で、通算768アシストは同大の記録。86年には世界選手権で金メダルを獲得している。ドラフトでは1巡目第6位でキングスに入団。開幕からスターターとして起用され、オール・ルーキー1stチームに選出された。3年目は新HCに評価されず、シーズン半ばにはホークスに放出されるなど微妙な1年となるが、90~91シーズンにロケッツに移籍するとキャリアが復活。そしてピークを迎える。

ここではリーダー的な存在としてアキーム・オラジュワンとチームを牽引。先に触れた連覇に貢献した。しかし、サム・キャセールの台頭やムラの激しさなどから出場機会と役割が次第に減少。96年にはピストンズと契約を結ぶがローテーションにも入れず、シーズン序盤のうちに解雇。直後にマジックと10日間契約を結ぶが、ここでもすぐ解雇され、シーズンの残りはナゲッツでプレイした。引退後はチャールズ・バークリーらと解説者として活躍している。

愛称は「ジェット」。若い頃はダンク・コンテストにも出るなど、身体能力の高さを見せることもあった。アウトサイド・シュートの上手いPGで、特に3Pは95年のファイナル第1戦のように一度波に乗ると手が付けられない半面、シューターとしてもプレイメイカーとしてもやや物足りない感があった。


マーク・ジャクソン


史上最も低い順位での新人王。セントジョンズ大出身のPGで、ドラフト1巡目第18位でニックスに入団。1年目からいきなり得点とアシストでダブルダブルのアベレージを残し、新人王を受賞した。2年目も良いプレイを見せたが、自信過剰な態度、ロッド・ストリックランドの加入、HCの交代などから次第に立場が微妙になり、ベンチ・スタートとなるなど輝きを失っていった。パット・ライリーがHCに就任した5年目にスターターの座を取り返すが、フィットはせず、そのオフにはクリッパーズへと放出された。

クリッパーズではラリー・ブラウンHCのもとで司令塔の役割を果たし、プレイオフ進出に貢献。ブラウンは93年オフにペイサーズのHCとなるが、その1年後、あとを追うようにジャクソンもペイサーズへトレードされた。ペイサーズではエースのレジー・ミラーと相性が良く、ジャクソン合流後のペイサーズはいきなりチーム史上初めてカンファレンス・ファイナルまで進出(ABA時代は除く)。イースト屈指の強豪チームとなった。

96年オフには「トラビス・ベストは準備が出来ている」とブラウンHCが宣言し、ナゲッツへトレード。しかし、ジャクソンが抜けたペイサーズはオフェンスが機能せずに苦戦し、ジャクソンをシーズン半ばに呼び戻すという失態を見せた。因みにナゲッツでは自由にゲームメイクを任され、勝利には繋がらなかったけどアシストを量産。平均12.3アシストをマークし、初めてアシスト王に輝いた。これはジョン・ストックトンの連続アシスト王記録を途切れさせてのモノであった。

00年にはより大きな契約を求めてラプターズと契約するが、ラプターズはPGを必要としていたにもかかわらず今ひとつフィットせず、シーズン半ばに古巣ニックスにトレード。ニックスもPGを探していたのだが、このときもジャクソン加入が戦力アップになることはなかった。02~03シーズンはジャズでストックトンのバックアップとしてプレイ。奇しくもここで通算アシスト数で2位に浮上した。翌シーズン、ロケッツでプレイしたのを最後に現役を引退。

引退後は解説者を経て、ウォリアーズのHCに就任。フロントとの不仲?で解任されてしまったが、ジャクソンのお陰でウォリアーズは良いチームになった。NBAで成功したPGとしては珍しく、ずんぐりした体型。そのためスピードがなく、ディフェンスで穴となることから、特にキャリア終盤は試合終盤に起用されないことも多かった。ただ、その体型を活かした?ポストプレイで攻撃の起点となるなど、ユニークなプレイスタイルも特徴のひとつ。

短時間でアシストを量産することが出来、手は小さいが、ノールックパスなどトリッキーなテクニックを魅せるのも得意としていた。好プレイを決めた後は腕をクロスさせたり、ジャクソン・ジグルと呼ばれたダンスをしたりする一面もあった。オールスターには一度選ばれたのみで、スーパースターという印象はないが、通算アシスト数は殿堂入りしてもおかしくない数字であり、将来どう評価されるか興味深い。


ドナルド・ロイヤル


ドラフト3巡目第52位でキャブスに指名された6フィート8インチのSF。ノートルダム大出身。キャブスには残れず、CBAで2シーズン過ごした後、89~90シーズンの創設1年目のウルブズでNBAデビュー。ここでは生き残れず、翌シーズンはイスラエルでプレイした。しかし、91~92シーズンの序盤にスパーズと契約を結ぶと、92年オフにマジックへ移籍してプチブレイク。層の薄さも手伝ってか出場機会が増加し、ベンチの要となった。

94~95シーズンは出場したほとんどの試合でスターターとしてプレイ。プレイオフの途中でベンチ・スタートとなってからは影が薄くなるが、チーム史上初のファイナル進出メンバーとなった。96~97シーズンの開幕戦直後にウォリアーズへトレードされると途端に役割が縮小し、トレード期限には更にホーネッツヘトレード。こうなるともう需要は少なく、翌シーズンをマジックとホーネッツでプレイしてNBAを去った。3Pはないがシュートの精度が高く、時間効率の良い選手。身体能力もまずまず。


デュアン・ワシントン


デレック・フィッシャーの兄。ジュニア・カレッジを経てミドル・テネシー州立大でプレイし、ドラフト2巡目第36位でブレッツに指名された。因みに同大史上初のNBA選手である。開幕ロスターには残れなかったが、シーズン終盤にネッツと契約し、15試合で起用された。しかし、88年10月にリーグの薬物規定に違反して2年間の出場停止処分を喰らってしまい、そのまま解雇。処分期間が終わった後もすぐにNBAに復帰することは出来なかった。

92~93シーズン半ばにクリッパーズと10日間契約を結び、ようやく復帰を果たすが、4試合だけ出てすぐに解雇。ここでキャリアを終えた。


ブラッド・ローハウス


6フィート11インチの長身シューター。サウスポー。アイオワ大出身で、同大では3人のHCの下でプレイ。ローハウスを同大にリクルートしたリュート・オルソンは1年でアリゾナ大へ去り、2・3年次はジョージ・ラベリングの指導を受けた。ローハウスはオルソンを気に入っていたようだが、4年次にラベリングの後任であるトム・ディビスの下で開花。フルコート・プレスの先頭を守るシューティング・ビッグマンとして活躍の場を得た。このときはリバウンドやブロックでもチームをリードしている。

ドラフトでは2巡目第45位でセルティックス入り。ここでは従来のビッグマンとしての役割を求められ、上手く機能せず、2年目の途中にはキングスへトレード。そのオフには更にエクスパンション・ドラフトでウルブズへ移籍した。新チームではスターターとして起用されるが、シーズン半ばにバックスへトレード。そして、この移籍がローハウスのキャリアを助けることとなる。バックスでは主にベンチ・スタートながら得意のペリメーターでのゲームを活かす機会を与えられ、4シーズン半を過ごした。

94~95シーズンはカレッジ時代のチームメイトであるケビン・ギャンブルとヒートで再会するが、この頃から移籍・解雇が頻発。プロ最後の2シーズン(96~98年)は、シーズン通してプレイすることも出来なかった。ロックアウトが長引く中、現役引退を決意。


ウィンストン・クライト


テキサスA&M大出身。チーム史上1位のブロック、2位のリバウンドを誇るなど同大史上に残るスター選手である。しかし、NBAのPFとしてはかなり小柄(6フィート7インチ・233ポンド)だったためかNBAチームからの評価は高くなく、ドラフト3巡目第53位でサンズに指名された。そして実際にほとんど活躍できず、2年目のシーズン序盤で解雇。その後はスペインやフランスなどでプレイ。93年にはフランスのリーグでMVPに輝いている。

02年に現役を引退。フィリピンでプレイしていたときにはスラムダンク・コンテストに出たこともある。