ライブマン好きだったなぁ…特にブルードルフィンが笑
マーク・ブライアント
6フィート9インチ・245ポンドのF/C。シートンホール大出身で、ドラフト1巡目第21位でブレイザーズに入団。90・92年とチームがファイナルに進んだときのメンバーだが、当時(最初の4シーズン)はあまり出場機会を得られなかった。ただ、92~93シーズン終盤にケビン・ダックワースに代わってスターターに入ったときには良い働きを見せている。95年には2連覇中のロケッツに移籍し、翌オフには更にサンズへ移籍。両チームともインサイドの層が手薄だったこともあり、貴重なビッグマンだった。
98~99シーズンは王朝崩壊直後のブルズで(コマ不足から)主にスターターとして起用され、99~00シーズンもキャブスでジドルナス・イルガウスカスの故障の恩恵を受け、シーズンの半分以上でスターターを務めた。しかし、翌シーズンからはローテーション入りできずにチームを転々とするジャーニーマンとなり、3シーズンで5チームを渡り歩き現役を終えた。引退後はマジックのACに就任。意外と器用な選手だが、体格の割にはリバウンドに弱い。
スコット・ブルックス
5フィート11インチのPG。カリフォルニア大アーバイン校の出身。ドラフト外でシクサーズと契約するが、いきなり全82試合で起用されるなど予想外の健闘を見せた。90年にはウルブズ、92年にはロケッツと移籍し、94年にはロケッツで初優勝に貢献するが、サム・キャセールの成長によって居場所がなくなり、94~95シーズン中にマブスへ放出された。96~97シーズンはニックスに移るが、ここではメンター的な役割で、出場機会は少なく、97~98シーズンをキャブスで過ごして現役を終えた。
キャリアを通してほぼ控えだったが10年生き残った。シュートが上手く、堅実なPGで、キャリア最初の6シーズンのうち3シーズンで全82試合に出るなどタフな選手。そのタフさ・勤勉さはシクサーズ時代にチームメイトだったチャールズ・バークリーも認めるほどだった。CBAでもプレイしており、88年のオール・ルーキー・チームに選ばれている(チームは優勝。HCのビル・マッセルマン)。引退後はサンダーのHCとしての仕事ぶりが有名だろうか。
穏やかで冷静な性格と、バスケットに対する知識の深さから、現役時代からコーチに向いていると見られていた模様。イースト・ユニオン校卒でNBAに進んだのはブルックスしかいない。
ハーベイ・グラント
1巡目第12位でオクラホマ大からブレッツに入団。3年目の90~91シーズンにスターターに定着すると平均18.2点をマークするなどブレイクし、MIPの投票でもスコット・スカイルズに次ぐ得票数を得た。90~93年まで個人成績としてはキャリア最高の時期を過ごしており、93年にケビン・ダックワースと交換でブレイザーズに移籍してからは、主に控えとして貢献。そして、96年にラシード・ウォレスを絡めたトレードでブレッツに出戻った。
この移籍以降、まだ30代前半にもかかわらず急激に衰え始め、キャリアは下降線。98~99シーズンにシクサーズでプレイしたのを最後に現役を引退した。ブルズなどでプレイしたホーレス・グラントは双子の兄。兄ホーレスは、ハーベイとの対戦を嫌がったという。人望もあり、ラリー・ヒューズは、ルーキーのときにグラントからプロとしての心構えなどを教わったことを感謝しているとか。因みにデニス・ロドマンの通算1万リバウンド目は、グラントのエアボールである。
バーノン・マクスウェル
10年間8度逮捕されるなど、コート内外問わずトラブルを起こしたG。フロリダ大の出身で2巡目第45位でナゲッツに指名され、直後にスパーズへトレードされた。ルーキーシーズンは2巡目指名ながら平均2桁得点を稼ぎ、翌シーズン途中にロケッツにトレードされると、すぐにスターティングSGに定着。以降、ケニー・スミスとバックコートを形成し、94年の初優勝に貢献した。ファイナルではジョン・スタークスと対照的に、大事な第7戦で21点をあげている。
しかし、94~95シーズンは、マクスウェルにとって悪夢のようなシーズンとなってしまう。まず、2月頭にポートランドで行われたブレイザーズ戦で、観客の野次にキレてスタンドに乱入、殴ってしまった。マクスウェルには10試合の出場停止処分を下されるのだが(のちに、ファンが妻の流産を野次ったからだと主張)、この10試合の間にチームはブレイザーズからクライド・ドレクスラーを獲得。オールスターSGのドレクスラーの加入はマクスウェルをベンチに追いやった。
マクスウェルはこの状況に不満を抱き、ロケッツはこの年も優勝して2連覇を達成するのだが、1stラウンドのうちにチームから離れている。そのオフにはシクサーズと契約。チーム事情からPGを任されるなど健闘を見せたが、結果には繋がらず、翌シーズンは古巣スパーズで過ごした。97~98シーズンはマジックとホーネッツでプレイ。マジックからはすぐに解雇されるが、ホーネッツではバックアップとして重宝された(但し、プレイオフではプレイしていない)。
98~99シーズンはキングスへ。ここではジェイソン・ウィリアムスやクリス・ウェバーなど若手中心のチームを精神的に支えていた。99年にはソニックスと契約。ソニックスのフロントは問題行動の多いマクスウェルを加えることを躊躇ったようだが、ゲーリー・ペイトンが「爆発力がある選手だから、チームに勢いをもたらしてくれる」と獲得を進言したという。実際、開幕直後は絶好調で勢い以上のものをもたらしていたが、次第にトーンダウン。
シーズン中盤にはロッカールームでペイトンと喧嘩し、バーベルを振り回して仲裁に入ったホーレス・グラントを怪我させてしまった。00年にはシクサーズと契約を結ぶが開幕から精彩を欠き、序盤のうちに解雇、シーズンの残りはマブスで過ごして現役を引退した。通算FG成功率は40%に届かず、3P成功率は32%程度であったが、ペイトンの言う通り爆発力があり、90~91シーズンには1つのQで30点をあげたのを含む51点をマークしたこともあった。
どんなに外してもシュートを打っていく積極的なスタイルは需要があり、また、SGとしては小柄だがスピードがあり、ディフェンスも良かった。スパイク・リーは「レジー・ミラーのようだ」と評している。最大の難点は繰り返しになるが素行の悪さ。家庭内暴力、マリファナ、違法改造の車など警察のお世話になることが多く、94年にはチームメイトのカール・ヘレーラをウェイトで殴ったこともある。ちなみに、貧血気味である。
ティト・ホーフォード
7フィート1インチ・245ポンドの大型C。ドラフト2巡目第39位でバックスに入り、2シーズン過ごした。3シーズンブランクを空けて93年にブレッツと契約を結ぶが、開幕前に解雇されている。NBA史上初のドミニカ出身の選手で、母国からヒューストンの高校へリクルートされてアメリカにやって来た。マイアミ大出身。息子のアルはフロリダ大で全米チャンピオンに2度輝き(連覇)、07年のドラフト1巡目第3位でホークスに指名され、オールスタープレイヤーになるなど華々しいキャリアを送っている。
アンドリュー・ラング
愛称は「ドリュー」。アーカンソー大出身のCで、ドラフト2巡目第28でサンズに入団した。最初の3シーズンは主にマーク・ウェストのバックアップを務め、4年目の91~92シーズンにはスターターに定着。このときは特にブロックショットで存在感を見せていた。92年にはチャールズ・バークリーを絡めた大型トレードでシクサーズへ移籍し、翌オフにはさらにホークスへ移った。キャリアのハイライトとなったのは、ホークス3年目の95~96シーズン。
ホークスでは得点も伸ばしていたラングは、キャリアで初めて2桁の得点アベレージをマーク。チームの開幕ダッシュに貢献した。しかし、そのシーズンのトレード期限にはクリスチャン・レイトナーとのトレードでウルブズへ放出されてしまう。自身がキャリア最高のプレイを見せていたにもかかわらず敢行されたこのトレードはショックだったようで、トレード以降は精彩を欠いた。96~98年はバックスでプレイするが、故障もあって思うようにプレイできず、98~99シーズンは王朝崩壊後のブルズへ。
99~00シーズンをニックスで過ごし、現役を引退した。97~98シーズン序盤のニックス戦でパトリック・ユーイングと空中で接触し、ユーイングは腕からフロアに落ちて負傷。そのシーズンはプレイオフの途中まで復帰できず、この怪我以降、ユーイングは一気に衰えていった感がある。武器はブロックとフックショット。キリスト教の巡回説教者であり、司祭としてアトランタで働いているとか。
フェニス・デンボー
6フィート5インチのSFで、89年にピストンズが優勝したときのメンバー。ただ、その1シーズン(31試合)しかNBAではプレイしなかった。ドラフト2巡目第30位指名。NBAでは見るべき処がなかったが、85~88年まで在籍したワイオミング大では華々しい活躍をしており、通算得点は同大史上1位。シュートの巧さと身体能力の高さが武器で、87年のNCAAトーナメントではレジー・ミラー率いるUCLAを破るアップセットの立役者となっている(デンボーは41点をマーク)。
同大史上初めて、スポーツ・イラストレイティッド誌の表紙を飾った選手でもある。
ジェラルド・パッディオ
UNLVの出身。ドラフト3巡目第74位でマブスに指名されたスウィングマンである。NBAデビューは90~91シーズンのキャブスで、そこではSFが手薄だったためか70試合で起用された(22試合がスターター)。しかし、91~92シーズンはソニックスで戦力にならず、92~93シーズンは3チームを渡り歩き、翌シーズン以降はNBAでプレイしなかった。身体能力はまずまず高く、3Pも打てる。カレッジ時代はジェリー・ターカニアンの指導を受けている。
