これ、元ネタはたぶん07年か08年くらいに趣味でまとめていたヤツなんですが、今見返すと、この情報どこで調べたんだろう?てのもあったりして、どこかのを丸写しとかしてないことを祈ります。
クリス・スミス
6フィート3インチのSG。コネチカット大出身で、通算得点と3P成功数は同大歴代1位の記録である(2015年現在は不明w)。90年の世界選手権では代表メンバーとしてプレイしており、コネチカット大史に名を残す選手である。しかし、プロでは不発。2巡目第34位指名ながら、ドアマットに沈むウルブズで一定の出場機会を得ていたが伸びず、NBAでは3シーズンしかプレイしなかった。アンダーサイズなSGの典型的な失敗例といったところか。
トレイシー・マレー
3Pシューター。UCLA出身。1巡目第18位でスパーズに指名され、その数日後、1日のうちに二度もトレードされ、ブレイザーズへ落ち着いた(最初に放出されたのはバックス)。2年目に3P成功率でリーグ1位になるが、本数は恐らく規定数ギリギリでインパクトには欠けた。94~95シーズン途中にはクライド・ドレクスラーとともにロケッツへ移籍。シューターが揃ったチームでは出番がなく、チームは優勝したが、プレイオフのロスターにも入れなかった。
しかし、翌シーズン、エクスパンション・チームのラプターズで開花。持ち前のシュート力が冴え、キャリア最高の活躍を見せた。ここで実力を証明したマレーは続く4シーズンをブレッツ(途中でウィザーズに改名)で、控えの得点源としてプレイ。キャリアハイの50点をあげ、プレイオフでブルズに相手に活躍した移籍1年目が印象的である。ブレッツ史上、1試合50点以上あげたことのある選手は、マイケル・ジョーダンも含めて6人しかいない。
しかし、00年にナゲッツにトレードされると出場機会が半減し、シーズン半ばには古巣ラプターズへトレード。このときはあまり戦力にならなかった。02年には地元レイカーズに移籍するが、ここでもあまり起用されず、03~04シーズンは7試合だけブレイザーズでプレイして解雇。04年オフにはニックスと契約を結ぶが開幕前に解雇されている。その後、ギリシャで2年(パナシナイコス→PAOK)、フランスで少しだけ現役を続けた。
身体能力が低くハンドリングもイマイチ。シュート力で生き残った選手で、スクリーンを使ってマークを外すタイプ。リリースも速いが、そもそものスピードがなく、シュートの巧さを活かしきれなかった感もある。
ドン・マクレイン
名門UCLAの歴代のリーディング・スコアラー。カレッジ時代のチームメイト、トレイシー・マレーに続いて1巡目第19位でピストンズに指名され、直後にクリッパーズに放出され、更にブレッツにトレードされた。1年目は出番が限られていたが、2年目にハーベイ・グラントの移籍に伴ってスターターに定着すると、いきなりチームトップタイの平均18.2点をあげ、MIPに選出された。しかし、翌年は、ポジションの重なるクリス・ウェバー&ジュワン・ハワードの加入と故障でややトーンダウン。
95~96シーズンの開幕前には、PGが必要なチーム事情からロバート・パックとのトレードでナゲッツへ移籍。96~97シーズンは更にシクサーズに移った。20分に満たないプレイングタイムで2桁得点を稼げるスコアラーだが故障が多くてアテにならず、97~98シーズンは9試合しかプレイできず、そうかと思えば98~99シーズンはソニックスで再び得点力を垣間見せた(17試合しか出場できなかったが)。サンズ、ヒートでも少しずつプレイしている。
ソフトタッチのクイックリリースで放るシュートが特徴的で、6フィート10インチのサイズながらシュートエリアも広い。00年にステロイドのテストで陽性反応が出たことがあるが、ロケッツでチームメイト打多チャールズ・バークリーが「ヤツの裸を見たことがあるが、使っているようには見えなかった」としていた(ロケッツでプレイしたのは99~00シーズン開幕前のプレシーズン)。
マット・ガイガー
スキンヘッドと髭で有名な7フッター。もとはオーバーン大に進学したが、途中でジョージア工科大出身に編入した。ドラフト2巡目でヒートに入るが2年目にはローテーションの一角を担えることを示し、3年目にはスターターとして起用されるまでになった。4年目となる95~96シーズン開幕当日にアロンゾ・モーニングらと交換でホーネッツヘ移籍。ともに移籍したグレン・ライスらと良い働きを見せ、翌シーズンにはブラデ・ディバッツ、アンソニー・メイスンらと強力なフロントラインを形成した。
キャリアイヤーは98~99シーズン。シクサーズに移籍したガイガーはスターティングCに定着し、得意のジャンプショットで活躍。ペイサーズとのカンファレンス・セミファイナルでは、シリーズには負けたものの重傷な場面でシュートを決め続けた。しかし、翌シーズンは故障やタイロン・ヒル、シオ・ラトリフらとの兼ね合いでベンチ・スタートとなり、00~01シーズンは膝の故障でシーズンの半分以上を欠場。そして、高額契約が残っていたが、01~02シーズン中に現役を引退した。
武器はミドルレンジのジャンパーで、怪我をする前はこの精度が高かった。スキンヘッドは、病気で髪の毛が生えなくなった弟を励ますためだという。00年オフ、シクサーズはアレン・アイバーソンをピストンズにトレードしようとしたのだが、その際、パッケージに含まれていたガイガーの契約にトレード・キッカーが付いていたためにトレードは破談。アイバーソンは残留し、逆にそこから成長を見せた。ガイガーがいなければ、01年のシクサーズの快進撃はなかったということになる。
また、95年のプレシーズンでは当時マジックにいたシャックにハードなファウルをかまし、シャックは親指を骨折。シャックが怪我が多くなったのはそこからであった。
エルモア・スペンサー
1巡目第25位でクリッパーズに入った7フッター。2年目にスタンリー・ロバーツの故障やダニー・マニングの移籍などの恩恵を受けて出場機会が激増。76試合中63試合でスターターを務める、自己最高のシーズンを過ごした。しかし、翌94~95シーズンは自身も19試合しか出場できず、95~96シーズンはナゲッツとソニックス、96~97シーズンはソニックスと渡り歩いた(いずれもシーズン途中に解雇)。UNLVの出身である。
グンダルス・ベトラ
NBAでプレイした初のラトビア人。6フィート6インチのスウィングマンで、NBAでは92~93シーズンにウルブズで13試合だけプレイした。ドラフトにはかかっていない。プロとしてのキャリアは長く、84~02年まで現役を続けた。ラトビア出身のNBA選手は、ベトラのあともアンドレス・ビードリンズとクリスタプス・ポルジンギスの2人しかいない(ポルジンギスは正確にはまだだけど)。YouTubeにはウルブズ時代に決めたダンクのハイライトが残っている。
ウォルト・ウィリアムス
6フィート8インチのシューター。「ウィザード」の愛称で知られ、窮地にあったメリーランド大を救った選手でもある。OBのレン・バイアスがドラフト直後にドラッグで亡くなり、相次ぐスキャンダルによってレフティ・ドリーセルHCが更迭された2年後、88年にウィリアムスは入学。当時、ドリーセルの後任であるボブ・ウェイドHCもNCAAの規定違反を犯し、その処分が残っていたが、ウィリアムスは新HCのゲーリー・ウィリアムスの元でプレイすることを選んだ。
ウィリアムスはこの、最低ラインにまで沈んだメリーランド大の再建過程において、大活躍。幾つかの記録を樹立しており、バイアスが保持していた通算776点を破ったのもウィリアムスである。ドラフトでは1巡目第7位でキングス入り。ルーキーイヤーは故障で23試合を欠場したものの、オール・ルーキー2ndチームに選ばれている。3年目にはライオネル・シモンズからスターターの座を奪い、95~96シーズン途中にはヒートへ移籍した。
そのオフには、ジュワン・ハワード獲得のためにサラリー・キャップに空きをつくりたかったヒートからあっさりリリースされてしまい、新天地もなかなか決まらないという憂き目にあうが、96~97シーズン開幕間近にベテラン最低補償額で契約したラプターズでブレイク。自己最多の175本の3Pを決めるなど予想外の活躍を見せ、フロントを喜ばせた。翌シーズンの途中にはブレイザーズへトレードされ、ここではグレッグ・アンソニーらと層の厚いベンチを形成。
そして、99年にはスコッティ・ピッペンを絡めた大型トレードでロケッツに移籍した。3シーズン過ごしたロケッツでは、チーム事情からSG~PF、スターター、ベンチと様々な起用をされていた。02~03シーズンをマブスで過ごして現役を引退。サイズの割に器用で、カレッジ時代はアウトサイド・シュート武器にオールラウンドに活躍していたが、プロ入り後はキャリアを重ねるに連れてシューター化していった。96年は映画「エディ」に出演し、97年には3Pコンテストに出場。
トレードマークのハイソックスは、子供の頃に憧れたジョージ・ガービンに肖っている。
ブライアン・ディビス
2巡目第48位でサンズに指名されるが、プロ1年目はフランスのクラブ・チームで過ごした。ここではのちにブレッツなどでプレイするジョージ・ミュアサンとともにプレイしている。NBAでは翌93~94シーズンにウルブズと契約を結び、一応68試合で起用された。デューク大が91・92年と連覇したときのメンバーで、当時はグラント・ヒル、クリスチャン・レイトナーらとチームメイト。そのレイトナーとはウルブズでもチームメイトで、BDV(ブルー・デビル・ベンチャーズ)という企業を共同で立ち上げている。
