ここしばらく、魔女の宅急便をロードショーでやらないですよね?

何度も見てるけど、たまに見たいというかなんというか。


こないだ初めて平成狸合戦を見たけど、僕はあまりはまりませんでした。

いい加減、一度はナウシカを見てみようと思う。



ダグ・ウェスト


ウルブズ初期の中心選手。6フィート6インチのSGで、2巡目第38位でヴィラノバ大からウルブズ入り。当初は戦力にならなかったが、91~92シーズンからスターターに定着し、このシーズンはスラムダンク・コンテストにも出場した。しかし、相次ぐ補強や故障で出場機会が制限されるようになり、97~98シーズン半ばにアンソニー・ピーラーと交換でグリズリーズへ移籍。このシーズンの残りはアルコール依存症のリハビリ・プログラムに取り組み、プレイできなかった。

01年まで同チームで現役を続けるが、トータル70試合もプレイできず、若いチームの助けにはなれなかった。SGとしてはシュートエリアが狭いが、最盛期にはFG成功率50%・FT成功率80%をクリアしていた。ディフェンスも良い。ウルブズで9シーズン半を過ごしており、ステファン・マーブリーがケビン・マクヘイルから「ステフは忠誠心がなかった」と批判された際、「(生え抜きだった)ウェストをあっさり放出する方が忠誠心がないんじゃないの?」とやり返した。


プー・リチャードソン


本名はジェローム・リチャードソン。愛称の「プー」は、祖母が「くまのプーさんに似ている」と考えたことに由来している。6フィート1インチのPGで、1巡目第10位で名門UCLAからウルブズ入り。オール・ルーキー1stチーム入りし、そこから92年にペイサーズへ放出されるまで、出来たばかりのチームを牽引した。ペイサーズでは移籍2年目に故障の影響からか低迷。45試合を欠場し、オフにはマーク・ジャクソンとのトレードでクリッパーズへ放出された。

最初の2シーズンは奮闘したが、96~97シーズンはスターターの座をダリック・マーティンに奪われ、98~99シーズンを最後に現役引退。小柄でスピードのあるPGだった。意外と?FT成功率が悪い。


エイドリアン・コールドウェル


サザン・メソジスト大とラマー大を経て、89年オフにドラフト外でロケッツ入り。2シーズン過ごしてNBAを離れるが、94年に古巣ロケッツでNBA復帰を果たすと、97~98シーズンまでに細々と5チームを渡り歩いた。6フィート8インチはCとしては小柄(265ポンドあるが)。サウスポーで、いかにも入らなそうな独特なFTが印象的であった。プロとしては、CBA、イタリア、スペイン、アルゼンチン、トルコ、ベネズエラでもプレイ経験がある。


デイナ・バロス


ボストン・カレッジの歴代のリーディング・スコアラー。5フィート11インチしかないこのPGは1巡目第16位でソニックス入り。1年目はネイト・マクミランのバックアップとして及第点の成績を残したが、翌年ゲーリー・ペイトンが加入したことで役割は減少。結局、今ひとつフィットしないまま93年オフに放出された。このときはまずホーネッツ、その2日後にシクサーズへトレードされるというたらい回しを経験するが、シクサーズ移籍がバロスの転機となる。

低迷するシクサーズでスターティングPGとなったバロスは開花。移籍2年目にはほぼすべてのカテゴリーでキャリアハイを記録するなど大ブレイクした。平均20点オーバー、3P197本を決めながらの成功率46.4%は見事である。また、オールスターにも選出された。95年3月のロケッツ戦では50点をマークし、MIPをも受賞している。また、89試合連続で3P成功という記録もうちたてた(当時)。95年オフには故郷ボストンのセルティックスと契約。

移籍1年目は貴重なロールプレイヤーとして機能するが、翌シーズンからは故障や再建モード突入に伴う若手の加入などで存在が希薄に。00~02年はピストンズで過ごした。03~04シーズンの最終盤にセルティックスと突然契約して1試合プレイしたのを最後に現役を引退。キレのある動きとシュート力の高さが武器。3Pコンテストには92~96年まで出場している。


ニック・アンダーソン


マジック史に残る選手のひとり。1巡目第11位でマジック入り。背番号25はかつての亡くなったチームメイトに肖っている。3年目からスターターに定着し、シャック&ペニー加入後は主に第3オプションとして一時代を支えた。そんなアンダーソンを有名にしたのが95年プレイオフの2つの出来事であった。ひとつはカンファレンス・セミファイナル第1戦、残り20秒で1点ビハインドという場面でマイケル・ジョーダンからスティールして逆転勝ちに貢献した。

試合後に「もう23番はみえない」とコメントし、ジョーダンがリーグ規定を無視してまで背番号を45から23に戻したのは有名である。ふたつめはファイナル第1戦。4Q残り時間僅かというところでマジックは3点リードしていたのだが、ここからアンダーソンが4本連続でFTをミス。直後にケニー・スミスの3Pで追いつかれてOTにもつれ、マジックは負けてしまった。アンダーソンが1本でもFTを決めていれば、と、アンダーソン自身を含め誰もが思う場面であった。

そして、このFTの件はアンダーソンに長くつきまとうことになる。翌シーズン以降、特にシュートタッチに精彩を欠く場面が散見するようになり、あるシーズンにはFT成功率がなんと40%台まで下降。一時期はスポーツ心理学の力を借りて回復の兆しを見せ、97~98シーズン終盤にはプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞するほどの活躍を見せたが、今度はチームが崩壊。99年にタリーク・アブドゥル-ワハドと交換でキングスへ放出された。

アンダーソンは当時のキングスが必要としていたベテラン&シューターという2つの要素を兼ね備えていたが、うまくいかず、翌シーズンはダグ・クリスティにポジションを奪われてベンチへ。01~02シーズンをグリズリーズでプレイして引退した。FTがキャリアを一変させてしまった選手。アンダーソン自身、「あの挫折から立ち直るのに3年かかった」とのちにコメントしている。ピーク時はシュート力とディフェンス力に優れたいいスウィングマンだった。マジックでは10年プレイしている。


ジョージ・マクラウド


3Pシューター。1巡目第7位でペイサーズ入り。ペイサーズは当初、「PGとしても使える選手」と高く評価していたようだがアテは外れ、4シーズン在籍するもいいところはなかった。しかし、1シーズンのブランクを空けて94~95シーズンにマブスに加入すると開花。シューターとして機能し、特にジャマール・マッシュバーンが長期離脱を強いられた95~96シーズンは63試合でスターターを務め、平均18.9点・3P成功数257本をマークした。

このシーズン、「3Pを打ちすぎではないか?」とディック・モッタHCに自ら聞いたところ、「気にするな、どんどん打っていけ」と励まされたというエピソードがある。96~97シーズン半ばには5対4の大型トレードでネッツへ放出され、更にすぐレイカーズへ再トレードされた。しかし、レイカーズでは出番がなく、プレイオフのロスターにも残れず、オフにサンズと契約を結んだ。サンズでは主に6マン的な役割を務め、99~02年に在籍したナゲッツではチーム唯一?のシューターだった。

02年オフにウィザーズに放出されるが開幕前に解雇され、その後NBAのコートに立つことはなかった。隙あらば打ってくるタイプで試投数が多いので、確率はあまり良くない。そのためかフィットするチームとしないチームの落差が激しかった。96年には3Pコンテストに出場している。


BJ・アームストロング


ブルズ最初の3ピートを語る上で欠かせないPG。1巡目第18位でアイオワ大からブルズ入り。子供の頃はアイザイア・トーマスに憧れていたという。最初の3シーズンはジョン・パクソンのバックアップだったが、早くからフィル・ジャクソンの信頼を掴み、ローテーション入りしていた。92~93シーズン、パクソンの故障や衰えなどもあってスターターへ昇格。3P成功率でリーグ首位に立つなど成長を見せ、サンズとのファイナルではケビン・ジョンソンと激しい?マッチアップを繰り広げた。

マイケル・ジョーダンが引退した93~94シーズンは更に頭角を現し、オールスターにはなんとファン投票で出場。チームがジョーダン抜きで55勝27敗をマークするのに貢献した。しかし、翌シーズンはジョーダンの突然の復帰やスティーブ・カーの台頭のためか、シーズンが進むに連れてムラが多くなり、オフにはエクスパンション・ドラフトでプロテクトされず、ラプターズにいの一番で指名された。奇しくも、ラプターズのGMは憧れのトーマスであった。

しかし、トーマスはその後のドラフトで指名したデイモン・ストウダマイヤーに期待をかけ、オフのうちにウォリアーズへ再放出された。移籍1年目は新HCのリック・アデルマンがティム・ハーダウェイよりBJを好み、64試合でスタート(ハーダウェイは途中で移籍)。チームは低迷したが選手としては成熟したところを見せた。しかし、翌シーズンは初めて長期離脱を強いられる故障を経験するなど失速。マーク・プライス、ビンボ・コールズと併用されるのもマイナスだった(と思う)。

97~98シーズンの開幕直後、ホーネッツへ移籍。ここではピーク時のデビッド・ウェズリーやボビー・フィルズがいたため出番は限られており、同年プレイオフのカンファレンス・セミファイナル第2戦で、古巣ブルズをアウェイで破る立役者となったのが数少ない見せ場だった。98~99シーズン途中にはレイカーズへ放出され、直後になんと解雇され、10日間契約でマジック入。そしてオフには現役最後のシーズンとしてブルズと1年契約。27試合しか出られなかったが、シーズン最終戦では温かい声援を浴びた。

ブルズで最後に背番号10を着用した選手(95年に永久欠番になったため)。現役最後のシーズンは背番号11でプレイした。引退後はブルズのフロントに入り、ジェリー・クラウスGMのスペシャル・アシスタントに就任。02年にFAのドニエル・マーシャルがブルズ入りを決めたのは、燻っていたウォリアーズ時代にBJ世話になり、恩義を感じたからだと言われている。03年にクラウスが辞任する際に職を退き、スカウトへ。新GMにはパクソンが就任した。ESPNで解説を務めたこともある。

シュートの上手いPG。派手なプレイを見せるわけではないがチームへの貢献度は高く、プレイスタイルはクリーンで、ピーク時には人気があった。ジョーダンの息子がファンだったという話もある。無駄打ちをしない3Pは高確率で良いシューターだったが、単なるセットシューターではなく、それ故にブルズ時代はパクソンやカーの方がシステムにフィットしている感もあった。97年に膝を痛めるまではタフな選手としても知られ、577試合連続出場は史上3番目に長い記録。


アンソニー・クック


アリゾナ大出身のビッグマン。1巡目第24位で地元サンズに指名され、直後にピストンズにトレードされるがそのシーズンはNBAでプレイせず、翌オフにナゲッツへトレード。ようやくデビューに至った。3シーズン在籍し(92~93シーズンは膝の故障で全休)、マジックへ移籍。その後も他リーグを含め、移籍を繰り返した。NBAでは95~96シーズンが最後。日本でもプレイしたことがある。技術に乏しく、独特なフォームから繰り出されるFTは確率が悪かった。