毎年開催されていた「全国韓医学学術大会」が、コロナ以降はオンライン講義に代えられた。環境の変化にいつのまにか慣れさせられていくことが不思議な気分だ。ただ時々は、疎遠になっていく大学時代の同期、先輩後輩に会う機会が失われたことを残念に思う。

 

約10年前のことだ。K院長やJ院長はソウルで時々会うこともあったが、その日は釜山からL院長が上京していて、本当に久しぶりに4人組が揃ったというわけだ。漢字の意味もわからず右往左往していた韓医大の予科生時代、『皇帝内経』を注釈の一つ一つまで丁寧に読み込む勉強会を結成したときのメンバーだ。

 

今ではそれぞれの道を歩んでいるが、スタートを共にしたという同士意識がよみがえり、思い出を語りあった。その最中、Lが意表をついて尋ねた。もし、もしもただ一つの処方せんをもって患者を診るしかないとしたら、どの処方を選ぶか。ただし、いくつかの薬剤の加減は許すという条件だ。

 

Jがまっさきに頸を横に振った。ケース・バイ・ケース、個別の患者に合わせるのが韓方。陰陽、寒熱、虚実の区分と、環境の違いまでを考慮して無限大に広がっていく処方を、ただひとつに帰納することはできない、という意見だ。としても、どうしてもと言うなら、少なくとも気血陰陽の二虚証である四君子湯と四物湯を、適当に加味しながら使っていくという。

 

Kは学生時代から体質医学に心酔し、造詣も深かった。『東医寿世保元』に関する彼の洞察は四象医学を貫通しており、実際に臨床でも古方と四象方だけを使うという。実はKの父親も韓医師で、学生当時その父親がこう言っていたことが今でも思い浮かぶ。「Kは四象医学に縛られるばかり、現代の代表的な神経症処方の'帰脾湯'ひとつもまともに使えないでいる」と。そのKの発言だ。「太極が見えないから陰陽に分け、陰陽も曖昧だと四象で分類して人間を理解しようとするのが韓医学だ。つまり四象と陰陽の前に人間そのものの太極があるはず。Lの問いの核心は、太極である人間の本質を定義せよ、という命題だ。この問題は今後我々が時間をかけて解いていかねばならない課題だろう。」

このとき、何か理由は忘れたが対話を中断しなければならないことが起きて、席を立つことになった。

 

そのとおり。処方するということは、見方を変えれば人間の本質を見極めることと同じだ。ひとびとの言葉や行動は多様でも、結局のところ人間の属性は一定の範疇の中でおさまる。同様に病症も、表立ってはたいへん複雑でも、結局はその病症を解く基準は陰陽、虚実など少数の範疇にとどまっている。

 

そのときわたしはふとある韓薬業者の顔が思い浮かんだ。韓医大生時代から始まり、韓医師になった後も鍼術を習いに通った晩竹先生の鍼術院でのできごとだ。その日は慶尚道地方から一人の韓薬業者が先生の鍼術を見学に来ていた。韓薬業者とは、1982年を最後に廃止された免許制度だが、無医村等で手近な医療施設として、韓方薬を出したり、不法ではあるが慣習的に簡単な鍼治療も施していた。鍼灸師制度は1962年に先に廃止されて、それ以降は韓医師のみが鍼治療をおこなえることになっていた。

 

今の私くらいの年輩だった彼は、「晩竹先生が陽谷穴の場所をやや陽池穴側に寄せて取穴するのはどんな理由があるものだろう。」と私に声をかけてきた。話によると、数年前にも一度訪ねてきたことがあったが、そのときに学んだ糖尿鍼が非常に効果があったとのことで、内庭、通谷、前谷を補い、陽谷、解鶏、小海を瀉することの原理について話を交した記憶がある。また脾正格と腎正格の糖尿患者の区分方について訊いたり、当時としては珍しかった董氏鍼の下三皇穴の話もした。

 

そんな彼が発つ前に、自身が最も頻繁に使うといって、ひとつの処方を紹介してくれた。参朮健脾湯から高麗人参を除き、香附子、木香、檳榔、當歸などが加わる処方だった。はじめは白扁豆を入れて胃炎や胃下垂など胃腸病の特効薬として使い始めたという。そのうち胃腸の活性化が万病を治療する根本であることに気づき、これに適当に加減をしながら多方面に使用するようになったという。

 

低血圧には人参を入れ、不眠には酸棗仁を、心悸には蓮子肉をいれるというふうにだ。裏急後重には黃連を加味し、便秘には郁李仁、肉蓯蓉を加味する。そうしたところ、治癒率が上がることを知り、今では全身の各所の痛症、手足痺、上熱(潮熱)症状はもちろん、頸強や耳鳴り、さらには爪の病気にいたるまで、ほぼすべての疾患に応用しているということだった。

 

私に韓医学的なひらめきをくださった金烏先生の言葉が思い浮かんだ。「韓医師ならば、方薬合編、東医宝鑑など数多くの処方を使ってみなければならないだろう。だが、韓医学とは何かを悟る頃になると、使う処方の数は数個に減るものだ。」という。

 

一生を鍼師として生きてこられた晩竹先生にしても、処方に悩み考え込んでいる私のところへやってきて、このようにおっしゃった。「そんなに緊急の病気でもないのに、なにをそんなに悩んでいるのか。男性なら六味地黄湯に、女性なら四物湯に平胃散を入れればいいではないか。男性は精力を良くしてお腹を楽にしてやればよし、女性は血液を補充して温め、巡りを良く、消化も良くしてやればいいことだろう。」 そして、「医師の真心を込めた、頼もしくあたたかい一言が大切だ。あなたには病症を治すためにもうひとつ、'鍼'という方法があるではないか。」と。

 

 

 

 

ただ一つの処方を問うLの禅問答のような問いかけの後、私は人間と韓医学の本質を突き止めようと常に努力した。以前のカルテと処方箋を引っ張り出してきて見直しながら、時間の流れと共に好む処方が変化したことを確認し、その変化の各過程で心酔していた何人かの医家たちが思い浮かんだ。そして、今の自分でもやはり同じ処方を出すか、と自らに訊ねた。

 

『傷寒論』と『金匱要略』のなかで張仲景先生が究極的に伝えようとすることが何かに気づき、臨床を通して確信にいたるころ、私はLに会いに釜山行きKTXに乗った。

海の近くの丘の上に位置するカフェでLが真っ先に口を開いた。「もし金元四大家のうちの一人である李東垣先生に、ご自身にとってのただひとつの処方を尋ねたら、何とお答えになるだろう。そもそもこれまでの自分の臨床の歴史は、東垣先生の理論を理解し実践する過程だった。」彼はあたかも芸能人の熱烈なファンのような熱心さで、李東垣の著書『脾胃論』と「補中益気湯」について滔々と語り始めた。

 

傷寒論における、外から侵入する外邪の強弱の問題から、脾胃論はその治療パラダイムを転換し、体の中の脾胃の元気がどれだけ充満しているかで人の生死や疾病の予後が決まるというのが、東垣先生の中心理論だ。

 

東垣先生は早くから内経を探求し、胃気が生を維持する根本だという点を明らかにした。体が弱くて脾胃の機能が虚に傾くことで疾病に振り回されると、そのときの症状があたかも強力な外感実症であるかのように、傷寒病のごとく脉洪大な発熱症状として現れることに気づいた。こんなときに熱を引かせるためといって冷たい性質の薬を使ってはたいへんなことになる。こうして東垣先生は、傷寒論の段階を越える処方といえる「補中益気湯」を作り出しました。

 

としたら、脾胃が虚になる根本的な原因は何でしょう。体を冷やしたから、また食事の規則性と節制が崩れて、など様々な原因があるでしょう。ここで、東垣先生が注目した根本的な原因が、まさに「七情の火」つまりストレスです。

 

黃芪、人参、白朮、甘草などで脾胃を補う処方は多い。補中益気湯は少量の柴胡と升麻が特徴だ。冷たい薬は通常からだの中で下に降りていくが、柴胡や升麻はその冷たい性質にもかかわらず、上に解けていきます。力を失った脾胃の機能を黃芪、人参、白朮、甘草で上に引き上げつつ、少量の柴胡と升麻が七情の欝火を解きほぐすと同時に、その冷たい性質をスムーズに上方に引き上げる。

 

さらに、東垣先生は『脾胃論』の最終部で、ストレスを減らすための二つの方法を提示した。現代にもよく考えてみる価値があると思われる。

1. 遠欲(欲を抑えよ)

2. 省言箴(言葉を省みる)

 

大学病院で婦人科を専門に診ていたLが突然故郷の釜山に戻り、こじんまりとした韓方医院を運営しながら、その間どのように補中益気湯との縁を繋いできたかについて、自身の臨床経験を熱心に語り続けた。

 

60代女性。いつも食欲がなく無気力。補中益気湯に山査、麦芽、白豆久、鹿茸を加味した。

70代男性。肩臂痛。補中益気湯に麦門冬、五味子を入れて柔らかく循環させながら、少量の黃柏で腎水を救け陰中の伏火を取り除き、紅花少々で心血を養したところ、たいへん効果があった。

小児のアレルギー性鼻炎。補中益気湯の季節加味方のなかの春方を使うが、柴胡を増量し川芎、防風、荊芥、蘇葉、薄荷を追加。

酒病。酒毒を解く。補中益気湯に半夏、白芍藥、黃芩、黃栢、葛根、川芎を加える。

麦門冬と五味子が柔らかく循環を促す加味方だとしたら、半夏と茯苓はやや強く循環をさせる作用がある。これ以外にも、ここに書ききれないほどのたくさんの臨床経験を聞いた。

歴代の医家のなかで補中益気湯をもっとも多く応用した明代の薛己が残した『内科摘要』を参考にしても良いだろう。

 

L院長は海辺のタワーマンションに住んでいる。広安大橋が目の前に飛込んでくる夜景は圧巻だ。私がうらやましがったことへの彼の反応がまた驚きだった。釜山で生まれ育った地元民にとって、海はいつもそこにあるもので、それが持つ価値について考えてみたこともなかったというのだ。高層階の窓から海を見下ろすことに格別な感興もかんじないのだそうだ。それもそうかもしれないと思った。海雲台の新築タワーマンションの値段はソウルをはじめとした外地の人がやってきて釣上げてしまったというのが彼の主張だ。

 

 

 

 

私にとってのただ一つの処方の話は、引き続いてソウルに戻るKTXの中で、車両のつなぎ部分に体をもたせかけた姿勢での通話を通して続いていった。『傷寒論』と「桂枝湯」がその中心だ。

 

まず、『傷寒論』からみよう。傷寒論は、六経体制で疾病を分類する。すなわち、太陽病、陽明病、少陽病、太陰病、少陰病、厥陰病だ。最初の病理体系で、もっとも基本的な方法で人体を区分したものだ。陰陽のふたつだけ分けて治療に臨むには、病気の変化が複雑すぎるため、それをもっと具体性をもって分けたのが傷寒六経体系だ。

 

急性か慢性的かなどで分けたマクロ的且つ至極単純な病理体系だ。傷寒論をみる目ができれば、どんなに複雑に見える病でもひとまず六経の観点で把握できる。つまりは病がどんな特性をもつか、どんな段階かをふまえ基本的な対処法を立てることができる。

 

病が傷寒六経の順序通りに進むというのは理論に過ぎない。臨床は理論と異なる。三陽病は表病で、三陰病は裏病だが、実際は陽明病や少陰病は臨床で診ることがほとんどない。患者が応急センターや集中治療室に行くからで、町の医院に行くことがないからだ。熱が酷く出て、痙攣までしている患者を小さな医院につれてくることはない。陽明病はそれほど危篤な熱病だ。少陰病は死にそうに横になっている状態だ(脉微細、但欲昧)。脈が絶えそうで、横たわったままずっと寝ているのだから、ひとりで医院に来ることもできない。

 

少陽病と厥陰病は複雑で、これは「慢性病」だ。三陽病の中で慢性病が少陽病となり、三陰病の中で慢性病が厥陰病になるのだ。少陽病はかならずしも陽明病を経て至るものではない。表病(太陽病)が酷い熱病(陽明病)を通過して慢性病(少陽病)に行き着くのではないということだ。大部分はそのまま慢性病に移る。特に、陰病を見てみよう。太陰病から、必ずしも死にそうな段階(少陰病)を経て厥陰病にいたるわけではない。虚弱な人は大部分、太陰病からそのまま慢性化して厥陰病になる。

 

太陽病、太陰病は、病の大多数に該当し、珍しくない病だ。表病の多くは太陽病で、裏病の大多数は太陰病だ。頭痛がする、腰が痛い、目が痛い等はみな太陽病だ。指が痛い、皮膚トラブルがあるなどもみな太陽病だ。太陰病は腹痛、嘔吐、泄瀉だ。基本的に三陰病(太陰病・少陰病・厥陰病)は差がない。部位も共通だ。お腹の中で起こる。病症は腹痛で、嘔吐や泄瀉はそれに続くものだ。太陰病はありふれた病だ。少陰病は提網に症状がないほどに人が死に行くことを表現したものだ。厥陰病は陰病裏病が慢性化したものだ。

 

傷寒論のもっとも中心となる処方は桂枝湯だ。桂枝湯はすべての処方の始祖であり、表証だけでなく裏証まで広範囲に治療することができる。実際に太陽病の主方であり、太陰病、厥陰病の主方でもある。臨床で頻繁に用いる傷寒処方の大部分が桂枝湯の変化型処方や合方だといえる。

 

辛くて温かい性質の桂枝と、酸っぱくて涼しい性質の芍薬が、各々反対の方向に柔らかく発散と収斂をさせながら、外から侵入した外邪を追い出し、力を失っていた体内の抵抗力を蘇らせる。また、桂枝と芍薬は、反対の作用をしながらも、ともに甘味を持ち、補う力がある。このように、精気を盛んにし邪気を追い出す原点であり、理想の処方が桂枝湯だ。甘草、生薑、大棗は症状を緩和させ、栄衛を調節する役割をする。一方で、もっとも重要なポイントは脾胃を補う役割だ。傷寒論で正気または元気を保存し育てる核心は、脾胃にある。

 

桂枝湯は太陽病、太陰病、厥陰病で主軸となる処方で、さらに少陽病処方のなかで頻繁に使用される柴胡桂枝湯でも重要な役割をする。要するに桂枝湯は、急証である陽明病と少陰病を除き、緩慢だったり慢性化した病症を治すことができる処方だ。桂枝と芍薬の比率を調節しながら、気分・血分の虚証によって黃芪、當歸、人蔘、膠飴などを加味し、ここへ白朮、茯苓、附子、乾薑、細辛、五味子、龍骨、牡蠣、生地黃、麥門冬、吳茱萸、麻黃、石膏、半夏、大黃等々を自由に加減することができれば、桂枝湯ひとつで万病を治すことができるだろう。

 

実際に臨床では、表裏をともどもに温めて順行させる桂枝湯に、脾胃を直接潤補する膠飴が追加される小健中湯をよく使うが、『金匱要略』でもっとも重要な「虚労門」に、代表的な補法処方として搭載されている。これにより、もともと慢性病治療が得意な韓方治療の長所が最大限発揮される。芍薬と桂枝の比率を固定せずに患者の自律神経の状態をみて変化させる妙味があり、黃芪や當歸を気血にあわせて追加する。それ以外にも人蔘、白朮、玉竹などを入れるなど応用する。

 

実際に私は桂枝湯を小健中湯のように芍薬と桂枝の比率を調節し、黃芪と當歸を気血に合わせた分量で入れて使う。デリケートで気を使うことが多い人には龍眼肉、茯神、遠志、酸棗仁を加味し、小中高校生や受験生には酸棗仁の代わりに石菖蒲を入れる。神経が極めて繊細な人には竹茹、梔子、黃連の中から、消化不良の人には山査、神曲、麥芽、砂仁、白豆久の中から、通気のためには木香、枳殼の中から適切に加味して処方する。四物湯を合わせればかの有名な双和湯になる。

 

KTXがソウルに到着するころに私の話もおわった。時間が流れて我々はまた違う考えを持つようになるかも知れないが、いずれにせよ人間と韓医学をつなぐ洞察の時間は続いていくことだろう。

 

今度は私がお尋ねしよう。東洋医学を学び、生業とするみなさんにとって、ただ一つの処方は何ですか。

 

 

追記1;韓国韓医学の『東醫壽世保元』の’四象医学’に関するK院長の興味津々な話は、次の機会またさせていただければと思います。

追記2;慣れきった習慣と深いマンネリズムから抜け出すために、'椿漢方クリニック'を整理することに決めました。長い間使わずにいて凝り固まってしまった思考と筋肉を目覚めさせる、新しい方式を探しに行くときが来たと感じました。