70回日本東洋医学学術総会が、628日から30日までの三日間、東京にて開催された。しばらくぶりの東京で気晴らしがてら、また、現在日本で漢方がどのあたり位置に、どのような姿で根付いているのかも気になるところで、参加を決定した。

 

結論から言うと、驚きと羨望それ自体だった。

第一に、規模の膨大さ。学術総会は緻密に計画、運営されていた。会場には参加者があふれかえり、一人ひとりの瞳は漢方への情熱で輝いていた。各セミナー室で行われる殆どすべての講座が、早目に行って座席を確保しない限り、後方で立ち見をする羽目になるほどであった。

一般演題に関するポスターの数も、自分の目を疑うほどの量だった。元来、ことの大小を問わずことごとく記録を残すという日本人の特性が、ここでも如実に発揮されているようだった。

学術総会で出会った北里大学病院漢方診療部の川鍋先生が、漢方を学び、診察し、処方する医師の数の増加傾向はもちろんのこと、大学の医学部においても漢方科目の単位数がかなり増えていると説明してくださった。

東洋的な思惟様式上に東洋医学を学ぶ韓方医師にとって疑いの余地のない概念のうちのいくつかは、西洋医学体系で鍛錬された脳を持つ人達にとっては、前提についての説明が必要なこともあることに気づかされた。特に望診について語るときがあてはまり、また患者個人個人の固体性、つまり陰人と陽人の体質について話すときや、生薬の気味について話すときなどもそのような印象を受けた。

 

今回の学会では、鍼灸治療を積極的に漢方治療の軸に入れる点において認識が広がるなど、全体的に外形を拡張することに成功している様相が見てとれた。反面、深度という面での若干の物足りなさを感じた。

 

囲碁に没頭し、たゆみなく研究すると、読み筋に明るくなるように、好ましい漢方インフラの中においては、数は多くなくとも、正しく漢方の本質を理解する層が現れ、彼らにより日本の漢方界が新しく花開くことになると確信した。既にいくつかの流派があり、日本の東洋医学の全体的なレベルが向上しているということは、数年前にソウルで出会った吉冨先生が特有の直な語り口で話を聞かせてくださっていた。

 

七物降下湯を舌痛治療にも、認知症にも適用するという川鍋先生の処方に対する理解度は、単なる頭の良さの結果ではない。漢方治療に向かう彼の情熱と持論は、読み筋に極めて明るい棋士が碁を打つ姿に重なる。

 

数年後の日本東洋医学学術総会が今から楽しみになっている。