マト「人生の目的は自分の真実を知り、追究すること。

真実は外になく、自分の中にあり、自分だけが知っている。

今、それが大事。」

 

まど「自分の中… 真実の追究の手段の一つが瞑想ですか?」

 

マト「瞑想は手段ではなく“状態” 自分が静かな、穏やかな状態であること。

従ってやり方は関係ない。

静かな状態で、何かがやって来るのをただ待つだけ。」

 

まど「何もやって来なかったら?」

 

マト「それはそれで良い。逆にやって来ることを期待すると変な方向へ行く。

例えば散歩した時に、『今日のやり方はおかしかった、失敗だった』とは言わないでしょ?

散歩をして『気持ち良いな』という感覚は自然にやって来るものである。

無理矢理どうにかするものではない。

瞑想は、“自分の中に散歩しに行く”と思えば良い。

だが大半は自分の真実を追究することに興味を持たない。そういうことに価値を感じない。」

 

まど「忙しいから?」

 

マト「忙しい は興味を持たせない手段に過ぎない。」

 

まど「暇でも興味を持たない人は持ちませんからね。」

 

マト「多くの者はまず、体裁、付き合いを優先する。自分のやりたいことは二の次で我慢する。

しかしそれは逆である。

 

僕はジャイナ教の瞑想キャンプに参加して、自分の魂に繋がることが重要であると知り、それを伝えてきた。

ところが周囲から見れば僕のような者は異端児なのだ。

人間社会に溶け込めない者は、アスペルガー症候群などと病名を付けられて病人扱いされる。

昨今の例で言えば、マスクをしてないと周りから責められる、とかね。」

 

まど「お葬式には出ない、とかもそうですよね。

日本人の殆どは仏教徒でもない癖に、何故か葬式には出る。身内の葬式に出ないなんて言い出すと、薄情だと非難されたり…

でも魂の世界のことを学んでからは、仏教の風習の妙な部分に気付けるようになりました。

死後に勝手にお釈迦様の弟子にされるのは意味不明ですし、六文銭が無いと三途の川を渡れないなんて、死後の世界にお金なんて存在しないでしょうに。」

 

マト「そうそう。三途の川を渡れないなら、六文銭など持たず戻って来ればいいじゃないかって話だよ。

仏教が説くのは神ではなく仏の世界だからね。

 

話を戻すと、魂=神である。

日本は八百万の神の国であらゆるものに神は宿るとされているが、何故か自分に神が宿るとは言われない。

しかし本来、自分の中に神がいるのである。

先ずは自分が神であり、神としての自分が周りと繋がることが大事なのである。

それは周囲からすれば我儘に見えるかもしれないが、我儘とは本来良いことである。

即ち、“在るがまま”の状態である。

 

ただ、『我こそは神である!』と偉ぶるのは別だ。

それは自我である。自我はエゴ。

これまでエゴを育ててきた状態で自分が神であると言っても、それは違う。

神である自分とは、エゴではなく自身のスピリットに繋がることである。」

 

 

 

 

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