まど♀です。
晩御飯にお鍋(野菜たっぷり♪)を食べていました。
私が「お汁(しる)が美味しいね」と言うと、マトからこんな指摘が…。
「マドは盛んに“しる”と言うが、“しる”とは固体から染み出した液体のことである。鍋の場合、普通は“つゆ”と言う。」
え、そうなの?確かに鍋つゆって言うね。
味噌汁は“しる”…あれは味噌を溶かすからか?麺つゆはつゆ…うーん…?
正直、『つゆでもしるでも漢字は同じなんだし、どっちでも良いじゃん』と最初は思ったのですが、折角の助言なのでこれからは“つゆ”と言おうと思いました。
ところが、後日再びお鍋をやった時も、さらに次の時もまた、つい“しる”と言ってしまうのです。
「やっぱりマドにとって鍋のつゆは“しる”なんだね。それは無意識行動だ。
無意識行動は三次元に留まる要因となる。」
これが無意識行動!?
「それとも秋田では鍋のつゆは“しる”と呼ぶのが普通なの?」
いや、どうだろう?私だけかもしれません。
直そうと思ってたのに、つい口走ってしまう。もう癖になっちゃってます。大衆が“めっちゃ”を口走ってしまうのと同じですね…。
自分が発する言葉を日頃から意識していれば直る筈なのに。
癖は無意識行動ですよね?
「単に“癖”と言っても種類がある。
例えば武道やスポーツなどでは、いちいち頭で思考して動いていては間に合わない。意識せずとも体が勝手に動くくらいでなければ。
理想的なのは正しい動きを身に付けることだが、中には正しい動きではなく、『何でそんなことやってるの?』と思うような独自の妙な動きをする者もいて、それは一度染み付いてしまえば修正が難しい。
何故そんな事が起きてしまうかといえば、人類の集合意識の中にそういうものがあるからだ。無意識は人類全体の集合意識と繋がっている。
独自の動きと言っても、研究され尽くした上でのオリジナルと、特に意味の無いものの二種類があり、前者は無意識行動ではないよ。」
なるほど。例えばゴルフのデシャンボー選手は独特なフォームでスイングします。あれはまさに研究し尽くした上でのオリジナルですよね。
「そういうこと。本来癖とは意図して作るもの。
マドが鍋を“つゆ”ではなく“しる”と呼んでしまうのも独自の癖だ。
もしマドが研究し尽くした上でそう呼んでいるのなら無意識行動ではないけど…」
全く研究してません!深い意味も無く“しる”と言ってました(^^;)
「おそらく親から刷り込まれたものだろう。
それが抜けないということは、三次元を生きる者達に歩調を合わせてしまうことになる。従って、無意識行動を取る者は三次元に引っ張られやすくなる。」
歩調を合わせるって良いことに聞こえるけど、もうそんなことをしている時期ではないのですね。
三次元へ合わせるのではなく、選択する者が五次元へついて行くかどうか、ですね。
「自分のことは自分で決める。
しかしマドは自分のことを周りに決めてもらっている。周りとは集合意識だ。
そして人類の集合意識はアセンションを選択していないから、この三次元に留まることを意味する。
自分がどうしたいかを宣言して実行に移す事は大切だと、僕は常々伝えている。
だが大半の人々はテレビに出てくる有名人や周囲の人間が口にしたことを口にする。一緒だと安心するからだ。
皆がやっていることを自分もやる。流行についていこうとする。」
“めっちゃ”や“映える(ばえる)”といった乱れた言葉遣い。
知らず知らずの内に誘導されている…。
自分が思ったことを口にしているつもりで、実は無意識行動が潜んでいるかもしれない。
おまけに染み付いて口癖になってしまったものを直すのはなかなか難しい。
別にベラベラ喋る必要はない。
落ち着いて、ゆっくり丁寧に、必要なことを話せば良い。
普段自分が発する言葉を意識する。
「言葉は光の波であることを意識するといいよ^^」