幸せになりたくて
みんな努力している。

自分で目標を定めて努力している人には
その目標が壁になるから
その壁を越えると
ひとまず幸せになる。

自分で壁を設定しない人にも
神様が壁をくれる。

それは環境の変化や、病、
うまくいかないあれこれだったりする。

そしてそれを乗り越えたとき
人は幸せを感じるのだ。

だから
つらいこと、苦しい事から逃げると
それはつまり幸せから逃げている事になる。

なぜなら、苦しみの向こうには
かならず幸せがあるから。

しかも越えられる苦しみしか
神様はあたえないという。

ここまで書いて思うのだが
逃げてしまったために苦しんでいる人はどうなのだろう。

それも苦労だから耐えてさえいえれば
幸せになれるのだろうか。

もし、そうならば
目の前の苦しみに立ち向かわなくても
逃げてしまっても
そこにはべつの苦しみが発生するから
そのあとちゃんと幸せになるってこと?

だったらがんばる必要なんかないのではないだろうか。

いや、
やはり、乗り越える努力が必要なのだ。
ただ、漫然と耐えているだけではだめなのだ。

つまり、苦しみを労うから苦労。
苦しむだけではだめなんだ。

苦しみから逃げているうちはずっと苦しくて
どこかで立ち向かい、乗り越えたとき初めて幸せを感じる。

そういうことなのか。

しかし、世の中には
納得いかない苦しみがいくつかある。

その一つが子供の死だ。

それを神様の与えた試練だなんて思いたくない。
子供が亡くなることで自分が成長するなんて
矛盾している。

やっぱり、神様が試練を与えるなんてことはないんだ。
試練は自然にそこら中にあって
神様はそれを乗り越える手助けをしてくれるだけ
なのではないだろうか。

だから
越えられる苦しみしか神様は与えない、のではなく
どんな苦しみでも越えられるように
神様が助けてくれる、ということか。

神様がいるとか、いないとかいう論議になると面倒なので
結果は一緒なのだから「神様」の部分を省くと

「人はどんな苦しみでも越えられる」ということになる。

いいのかな~、こんなに簡単に言っちゃって。
後日考え直します。