大きな紙を持って帰らなくてはならなくなった私。

長距離の移動中に紙を折り曲げてしまうことが心配だった。

それを私より心配していたのは

選ぶ時からあれこれと面倒を見てくださったお店の方だった。

 

丸めてくれたらいいと思ったがなかなかそうしてもらえない。

厚めなので丸めると折れ線がつくかもしれないリスクがあるらしい。

最終的に、持ち歩ける大きさに切ってもらうことになった。

それはちょうど新聞紙1面くらいの大きさだった。

 

それを袋に入れて・・・と思ったら

今度は紙を保護するための厚紙を用意してくれた。

しかも、友人曰く「イタリア製のすごく高価な紙」だそうだ。

もちろん、訳ありだから保護板代わりに使うわけで

売り物の紙ではないという想像はできた。

 

その保護用の紙を、

私の買った紙の寸法に合わせて切りながら、お店の方は言った。

「ちょっとでも折れて線がついたら商品にならないんですよ。」

それを聞いたとき、扱う商品を大切にする気持ちを感じながら

「紙」の世界の厳しさを知った。

 

商品に傷ひとつあってはならないのに傷つきやすい世界。

保護紙にされた高級紙もおそらくその大きさゆえに

取り出すときに少し折れ曲がったとか、
出しておいたら誰かがぶつかったとか

そんな些細な事で線が付き商品にならなくなったのだろう。

 

私は鉄工所に勤めているので

扱うものといえば鋼板が多い。

大きさは畳1枚から大きいものでは畳6枚くらいだ。

鋼板も曲げてはいけないところで曲がったら使い物にならない。

けれど鋼板はそうそう曲がるものではない。

一点で持ち上げればしなるけど

折れ線をつけるためには、ものすごく強くぶつけるとか

機械を使って折る作業をしないとならない。

だから材料に傷がついて使えなくなることはほとんどない。

むしろ、多少の傷は容認されていて、

表面に全く傷のない板などほとんどない。

材料の上を安全靴のまま歩いたり、

材料を投げることこそないけれど

少しの高さなら落とすように置くこともある。

 

実は、ショッパーを作ることを決意した際に私は思った。

鉄や木や布で物を作ってきた私にとって、紙で作るのは容易であると。

力はほとんど必要ない。工具も身近なもので済む。
切り端の始末もいらない。

だから紙工作は簡単なことだと思っていた。

 

だが、紙の扱いには繊細さが必要だった。

ちょっと手が汚れていると紙に指紋がついたり

折ったところが黒くなってしまう。

一度間違ったところを折ったらもう使えない。

目の通っていない方向に折るときれいに折れない。

指で持った時に風にあおられたら、

つかんでいるところから曲がって線がついてしまう。

 

というわけで

ショッパーを作るということは

今までの力任せや、工具任せとは違う神経を使う作業だった。

テーブルをきれいにし、手も道具もきれいにして

窓を閉め、折り線をあらかじめつけ、

他の部分を曲げないようにそっと折り

糊をはみ出さないように丁寧につけて、

決して蹴飛ばしたりしないところに置く。

 

どの世界でも、お金をもらう仕事に

容易、簡単ということはないのだと痛感した。

おせわになった「竹尾 見本帖本店」の皆様、

ありがとうございました。