鎌倉殿の13人47回 【ある朝敵、ある演説】あらすじ | 脳梗塞から奇跡の復活!でSEO研究

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鎌倉殿の13人47【ある朝敵、ある演説】あらすじ

前代未聞!大内裏の焼失

承久元年(1219)6月25日、摂関家・九条兼実のひ孫・三寅が迎えの御家人たちとともに京・六波羅を出発し、3週間余りをかけて7月19日に鎌倉に下着しました。これにより、次期将軍予定者の三寅のもと、政子が「尼将軍」として幕府を代表し、「執権」である北条義時が政務全体を取り仕切る新体制が整います。

しかしこの間、後鳥羽上皇の住まう京では、大事件が起きていました。源頼政の孫・頼茂が、三寅の鎌倉下向を不満に思い謀反を起こしたのです。7月13日、追討の院宣を下された頼茂は、代々守護を務めてきた大内裏に籠もって追討軍と戦い、火を放って自害。この際に仁寿殿じじゅうでんだけではなく、所蔵されていた累代の宝物などが焼失します。兵火によって大内裏の殿舎が焼け落ちるのは前代未聞であり、後鳥羽上皇はショックのあまり、1か月以上も床にしてしまいました。

後鳥羽上皇は「三種の神器」なくして践祚せんそし、壇ノ浦の戦いで宝剣を失ったことにコンプレックスを抱えており、治天の君としての正当性を示し続けてきました。幕府の内紛によって何ら関係のない大内裏が焼け落ちたことに、さぞや強い憤りを感じたことでしょう。その思いが、幕府を取り仕切る北条義時との確執を、さらに大きなものにしていきます。

47回予告はここで見られます。

 

鎌倉御所・寝殿にて。居並ぶ御家人たちの前に姿を現した政子(小池栄子)

あらすじ

幕府の後継者争いが発端となり、乱れる京。

京・院御所にて。源頼茂の謀反により焼け落ちた内裏を修復するための図面を引く後鳥羽上皇(尾上松也)と、見守る藤原兼子(シルビア・グラブ)、藤原秀康(星智也)たち

朝廷の象徴である内裏が焼け落ちると、後鳥羽上皇(尾上松也)は再建費用を日本中の武士から取り立てることを決める。

鎌倉御所・執務室にて。泰時から「上皇様から御家人に内裏再建の費用を出せと命が下っている」という報告を受ける義時と政子
泰時の館にて。義時(小栗旬)と御家人たちの関係が悪化していることを心配しつつ、泰時(坂口健太郎)に「愛嬌は大事」と教える時房(瀬戸康史)
鎌倉御所・寝殿にて。実朝の後継者である三寅(中村龍太郎)に「着袴の儀」で袴を着させ、自分が鎌倉の最高指導者であることを見せつける義時

しかし、北条義時(小栗旬)は政子(小池栄子)と大江広元(栗原英雄)の支持を得て、要求を先送りにすることを決断。

義時の館にて。あることで義時に憤るのえ(菊地凛子)、悲しむ二階堂行政(野仲イサオ)、戸惑う義時とのえの息子・政村(新原泰佑)
鎌倉御所・執務室にて。はるか昔のことに思いをはせる義時

泰時(坂口健太郎)をはじめ御家人たちが後鳥羽上皇との関係悪化を心配する中、三浦義村(山本耕史)は京で大番役を務める弟・胤義(岸田タツヤ)に…

院御所にて。ある計画を立てる藤原秀康(星智也)と三浦胤義(岸田タツヤ)
鎌倉御所・執務室にて。京からの知らせに驚く義時ら
鎌倉御所・寝殿にて。御家人たちに語る政子を見つめる義時

 

鎌倉殿の13人第47回終わり。

第48回『最終話』に続きます。