鎌倉殿の13人37話「オンベレブンビンバ」を吹き出し会話方式
畠山重忠の討伐と代償
元久2年(1205)6月22日、畠山重忠軍が、義時らが率いる討伐軍と抗戦。兵力差をものともせず奮戦しましたが重忠は討ち取られ、畠山氏は滅亡しました。このとき重忠が率いたのは、わずか百三十四騎。重忠の弟や親族のほとんどは他所におり、合戦に加わることはできませんでした。このことから、義時は「重忠が謀反を企てたという疑いは偽りである」と断じ、父・北条時政へ無念な思いをぶつけています。
多くの御家人たちから尊敬と信頼を集めていた重忠の無実の死は、追討を命じた時政の立場を悪化させました。『吾妻鏡』元久2年(1205)7月8日条によると、畠山一族から没収した所領が、執権である時政ではなく、政子の計らいによって勲功のあった者に与えられます。まだ幼い三代鎌倉殿・源実朝の意向と称して剛腕を振るっていた時政ですが、その権勢に陰りが生じ、実朝の母である政子の存在感が増していました。このあと、時政・牧の方(りく)夫妻と、政子・義時姉弟との確執は、さらに深まっていきます。
放送日は9月25日20:00から
鎌倉殿の13人の第36話で、畠山重忠の乱で父・時政(坂東彌十郎)と義時(小栗旬)の意見が対立するようになります。
鎌倉殿の13人の第37話は、義時があたらしい組織をつくるところからはじまります。
第37話ここから
時政(坂東彌十郎)の暴走を食い止めるため、義時(小栗旬)は政子(小池栄子)、大江広元(栗原英雄)らと一緒に新体制を作ります。そこに、時政がやってきました。
りく(宮沢りえ)も黙っていませんでした。
そして、りくは政子(小池栄子)に言います。
義時と時政が対立するのを時房(瀬戸康史)が止めようとします。
時政は、時房と餅を食べます。
政子の政がスタートしました。でも、あまりの量に肩が凝った様子です。
一方、憤慨したりくは、娘婿である平賀朝雅(山中崇)を執権に担いで対抗することを画策します。
しかし、平賀朝雅は鎌倉は恐ろしいので乗らないと話していました。
北条家が2つに別れようとしているその時、鎌倉殿である源実朝(柿澤勇人)は和田義盛(横田栄司)のもとに足しげく通っていました。
そういって、源頼朝(大泉洋)の話を面白おかしくして源実朝を笑わせます。
時政は、三浦義村に言います。
義時も同じことを感じていました。
大姫がいなくなってみなが探しまわる中、三浦義村(山本耕史)が偶然、大姫と会います。
三浦義村から義時に、時政の話が流れます。
そして、義時はその話を政子に伝えました。ただし、義時は、時政に明らかな謀反を起こさすために泳がすことにしました。
その話をしているところに、時政がやってきました。久しぶりに、時政、義時、時房、政子、実衣で北条家の団らんをすごします。
源実朝が和田館にいたところ、三浦義村に連れていかれました。義時は、時政のところに連れていかれたとの報告を受ける義時。
その頃、時政は源実朝に起請文を書くようにお願いしていました。
その頃、時政は源実朝に起請文を書くようにお願いしていました。
以上が鎌倉殿の13人第37話はここまで。