鎌倉殿の13人の第3話「挙兵は慎重に」
鎌倉殿の誕生“前説”「NHKのあらすじ」
2022年1月23日20:00放送
後白河法皇と平清盛の蜜月の終焉
安元2年(1176)、後白河法皇の寵愛を一身に集め、義兄・平清盛との間を取り持っていた建春門院が35歳で死去。すると、後白河法皇と清盛との蜜月にかげりが見られ、政治の主導権を巡って両者が激しく対立するようになりました。そして、安元3年(1177)に起きた鹿ヶ谷事件で決定的な破綻を迎えます。5月、後白河法皇の近臣が京都東山鹿ヶ谷にある山荘に集まり平家打倒の謀議を巡らせていましたが、6月になって密告により計画が露見。激怒した清盛は首謀者たちを捕らえ、斬首や配流先での虐殺に処したのです。
後白河法皇もこの計画に加わっていましたが、このとき後白河院政を停止されることはありませんでした。後白河法皇に近侍していた清盛の嫡男・重盛の存在と、高倉天皇に皇子がなく代わりの院がいなかったためです。しかし治承2年(1178)、高倉天皇と清盛の娘・徳子との間に、のちに安徳天皇となる皇子が誕生。翌年閏7月に重盛が死去すると、後白河法皇と清盛の全面衝突は避けられないものとなり、ついに同治承3年(1179)11月、清盛はクーデターを起こして後白河法皇を幽閉し、院政を停止しました。
治承4年(1180)、外孫の安徳天皇を即位させ、娘婿の高倉上皇による傀儡院政を樹立させた清盛は権力の絶頂を迎えます。しかし、平家への反発もますます大きくなっていました。
NHKからの転載 m(__)m
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