潮岬のキャンプ場で起床。
このキャンプ場…水場やトイレもキレイだし自販機もあって便利ですが、
その分家族連れも多くて、あんまり旅って感じがしないですね。。。
まぁ、宿泊費を安くあげるにはいいんですけどね…(^_^;)
とにかく撤収して、またリヤカーで巨大な荷物をバイクに積み込みます。
しかし…私の装備ってなんでこんなに重いんでしょうかね…?
昔、自転車旅してましたが、自転車にはこんな重いのは積めないです。。。
まぁ、自転車旅は極限まで必要品を削ぎ落とすので、基本的に今は
贅沢してるってことなんでしょう…装備を見直さないとですね。。。
荷物をバイクに積み終えたら、とりあえず今日は県道40号線を通って
紀伊大島を見物です。
ツーリングマップルによると紀伊大島の海金剛は「21世紀に残したい
日本の自然百選」らしいです。期待ですね~(^-^ )
まずは、紀伊大島の先端の樫野埼灯台を目指します。
灯台に向かう途中には、明治23年にトルコの船が座礁した時の慰霊碑があります。
600名以上が海に投げ出され、生存者が69名だったそうですが…
私、この話聞いたことがあります。
「エルトゥールル号遭難事件」ですね。
船が遭難した時、この地域の人達が総出で救出に当たったと記憶しています。
トルコの方々は今でもこの時の事を忘れず、確か近年も日本人がトラブルに
遭った際に「エルトゥールル号の恩を忘れない」と言って、助けてくれた、と
ニュースで言っていた気がします。
私ドキュメンタリーが好きなので、知識としては知っていましたが、あの遭難
事件の現場はここだったんですね…非常に感慨深いです。
トルコと日本、とても遠い国ですが、その2国がこれ程お互いに感謝の気持ちを
持って関係しているってすごいですね。
とても悲しい事故ではありましたが、そのきっかけとなったエルトゥールル号の
慰霊碑に丁重に手を合わせました。
そして、その先に行くと樫野埼灯台です。
こぢんまりとしていましたが、キレイな灯台でしたよ(^-^ )
実はこの辺でデジカメの電池が切れて、ここからは携帯の写真となります。。。
さて、この後は海金剛を観光です。
駐車場にバイクを停めたら日米修交記念館がありました。
実はよく分かってなくて、「ここが海金剛の展望台なんだろう」と思って入って
しましたが…どうやら違ったようです…(^_^;)
内容もあまりよく覚えてないですが、確か黒船よりもっと早くに、ここ紀伊大島に
アメリカの艦船が漂着して、非公式ではあるが国交が開かれていた、といった
展示だった気がします。
せっかくなので一通り記録や資料を拝見して、海金剛に向かいます。
実は記念館の脇の道を海の方に進むと海金剛だったのです。
たどり着いた海金剛は…
いや~確かに絶景でした。(写真見て下さい)
どうも説明書きを読んでみると、ここだけマグマで出来た岩石のせいでこのような
切り立った景色が生まれたようですね。
確かに名勝と言われるだけのことがある景色でした。
さて、「エルトゥールル号遭難事件」の慰霊碑や海金剛の景色があまりにも
印象的で、想定以上に時間を費やしてしまいました。
この旅は今日で帰宅予定なので、今回の観光はここまでにして、帰途に
つきました。
国道42号線を通ってしばらく北上した後、紀勢自動車道から阪和自動車道を
通って一気に帰宅です。
もう少しゆっくりしたかったですが、それは次回の楽しみですね。
ではでは。
<余談>
このブログの記事を書くに当たり、記憶も曖昧だったので「エルトゥールル号遭難事件」
関連のことをネットで調べました。
エルトゥールル号は台風で岩礁に激突して、機関部に侵入した海水で水蒸気爆発を
起こしました。これにより、600名以上の乗員が海に投げ出されたそうです。
通報を受けたこの地域の人たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たり、台風のせいで
出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、衣類や食料、それに非常用の
ニワトリを供出して救護に努めた結果、69名が救出されて生還することが出来たそうです。
そして私が記憶していた日本人の窮地を救って頂いた事件は、イラン・イラク戦争で
イランに取り残されてしまった邦人に対して、トルコが救援機を派遣してくれた事件でした。
「トルコ人なら誰もがエルトゥールル号遭難の際に受けた恩義を知っています」と言って
危険な中で救援機で邦人を救出して頂いたそうです。
また、その救援機の機長や乗務員はこの危険な任務に自ら志願された方だそうですよ。
正直、今回この慰霊碑を見るまではあまり関心がなかったのですが…
私たちはトルコの人たちとお互いの深い感謝の念で繋がっているのですね。
自分の知識不足を恥じると共に、とても心に響く旅となりました。
今回の記事はここまでです。
ありがとうございました。






















