毎度ありがとうございます。

泉和鉄工所の鳥取です^^

ちょっと仕事とは別の話ですが^^

お時間のある人は読んであげてください^^

もう僕は今年で41歳になります。

ええオッサンですね。

この41年間、多くのことがありました。

まま、41年といっても産まれて数年は記憶なんてないので、35年ぐらいでしょうかね。

幼稚園、小学校、中学、高校、専門学校と楽しい日を過ごしてこれました。

これも、僕と友達になってくれた方、先輩、後輩、社会人になってからはお客様のお力があったからでしょう。

多くの友人と出会い、別れを繰り返し強くなっていく自分がわかりました。

23歳のときに急に発作が起こる原因不明の病気になりました。

33歳のときには胃に悪腫の胃MALTリンパ腫ができ、放射線治療をしました。

38歳のとにには肺梗塞となり、三途の川の手前まで行ってきました。

39歳のときには肺梗塞のときに手術をし、静脈にフィルターを入れましたが、その下が50センチほど?詰まってしまい、右足がパンパンにふくれあがり、どうしようも治す方法がないようにもなりました。

リンパ腫のときは、放射線治療でしたが、最後の最後まで自分で歩いて放射線科まで行きました。

最後の日に放射線科の先生から「私は長い間、放射線科でいますが、最後まで自分一人で歩いてきた患者さんは鳥取さんが初めてです」と褒められた?

それに、食べれない状態で自分でも体重が落ちるのがわかりました。

けど、気合いですね。絶対に体重を落とさないどころか増えて退院しまいた。

食べて吐いて食べて吐いての繰り返し。

肺梗塞になったときは、最初の一週間は集中治療室で横には多くの機械があり、ピーピーって動いていました。

その後、一般病棟に移ったときは、毎日が苦しかったですね。

夜になると過呼吸になり、全く寝れない日々でした。

看護婦さんの腕をつかんで「殺してくれ」って頼んだこともあります。

毎日が苦しかったです。

退院するときに聞いたのですが、運ばれたときに脳内出血をしていたらしいです。

脳内出血に肺梗塞と、片方は出血を止める治療、片方は血液を流す治療と全く反対の治療になります。

運がいいのか、運ばれたときに「たまたま」脳外科の先生がいなかったので、肺の手術をしました。

先生が「もし、あのときに脳外科の先生がいたら、鳥取さんの入院を断ってました。もし、何かあったら・・・」

そして言われましたね。

「鳥取さん、あなたは普通の人より運を持っているんだと思いますよ」

まま、運はあるのか知りませんが、次の年も入院し、看護師さんには「また来たんですか?」って言われましたが^^;

僕はできるだけ物事をいいように考えることしています。

超ポジティブ人間です^^;

それと、毎日、1つでも多く「ありがとう」と言うようにしています。

それは、お客様、弊社の社員さん、家族などなど。

「ありがとう」の言葉ってすごく深いと思うんですよね。

この言葉って、言われてイヤって思う人間なんていないでしょう。

そして、この言葉を言う人、言われた人は必ず笑顔になれます。

笑顔になれたら気持ち、心もかわります。

この言葉、魔法なのかも知れないですね。

年齢、性別、学歴、人種、全ての方が簡単に使える。

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そして、明日の誕生日 おめでとう。