日本酒の歴史 2.
皆さま
前回に引き続き日本酒の歴史です。
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鎌倉時代になると酒の消費量が飛躍的に増える。
幕府は飲酒が武士を堕落させ、酒の売買が浪費につながると
考えた。質実を重んじる武家政治のこと、酒を造る農家は
『穀潰し』と呼ばれ、幕府は酒売買禁止令を公布。
このとき破棄された酒甕の数、約3万7千口。以下に飲酒が
広まっていたかがわかる。しかし、酒造りを禁止しても、
酒屋を営む多くは僧侶であったゆえ禁止令はうやむやに。
ちなみに、北条時宗が『味噌を肴に酒を嗜んだ。』というが
いかにもな逸話だ。それにしても何故、僧侶が酒を造ったか
というと、大陸からの最新技術を真っ先に手に入れることが
できたことと、材料と人手が潤沢だったから。それもそのはず、
寺領から米が献納され、労働力となる修行僧たちをも多く抱えていた。
この循環が、仕込みを3回に分けてやる『3段仕込み』、
酒母の原型『菩提酛造り』、火入れ(殺菌)技術を生み出した。
神社も負けていなかった。幕府直轄の組織であり、一般の信仰も
寺院より神社のほうが厚く、伊勢講や熊野講も始まったこの時代、
そうした力を背景に、麹製造の権利を独占(麹座)したのは神社で
あった。酒は多くの利潤をもたらす。酒の実権を握るべく、神社と商人、
幕府が三つ巴になるのもこの時代。今も続く酒税制度を作ったのが
足利義満だ。金さえ払えば酒が造れるが、酒造りに欠かせない麹は
幕府直轄の神社が握っている。酒屋と寺院は麹造りをし、幕府に
麹座の廃止を求め強行突破。安土桃山になると、今日の酒造りの
完全な原型『諸白』が完成し、酒の大量生産も可能に。
太閤秀吉公が諸国の銘酒を献上させた『醍醐の花見』もこの頃だ。
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次回は江戸時代から一気に近代まで。
前回に引き続き日本酒の歴史です。
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鎌倉時代になると酒の消費量が飛躍的に増える。
幕府は飲酒が武士を堕落させ、酒の売買が浪費につながると
考えた。質実を重んじる武家政治のこと、酒を造る農家は
『穀潰し』と呼ばれ、幕府は酒売買禁止令を公布。
このとき破棄された酒甕の数、約3万7千口。以下に飲酒が
広まっていたかがわかる。しかし、酒造りを禁止しても、
酒屋を営む多くは僧侶であったゆえ禁止令はうやむやに。
ちなみに、北条時宗が『味噌を肴に酒を嗜んだ。』というが
いかにもな逸話だ。それにしても何故、僧侶が酒を造ったか
というと、大陸からの最新技術を真っ先に手に入れることが
できたことと、材料と人手が潤沢だったから。それもそのはず、
寺領から米が献納され、労働力となる修行僧たちをも多く抱えていた。
この循環が、仕込みを3回に分けてやる『3段仕込み』、
酒母の原型『菩提酛造り』、火入れ(殺菌)技術を生み出した。
神社も負けていなかった。幕府直轄の組織であり、一般の信仰も
寺院より神社のほうが厚く、伊勢講や熊野講も始まったこの時代、
そうした力を背景に、麹製造の権利を独占(麹座)したのは神社で
あった。酒は多くの利潤をもたらす。酒の実権を握るべく、神社と商人、
幕府が三つ巴になるのもこの時代。今も続く酒税制度を作ったのが
足利義満だ。金さえ払えば酒が造れるが、酒造りに欠かせない麹は
幕府直轄の神社が握っている。酒屋と寺院は麹造りをし、幕府に
麹座の廃止を求め強行突破。安土桃山になると、今日の酒造りの
完全な原型『諸白』が完成し、酒の大量生産も可能に。
太閤秀吉公が諸国の銘酒を献上させた『醍醐の花見』もこの頃だ。
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次回は江戸時代から一気に近代まで。