1954年3月1日、マグロ漁船「第五福竜丸」は、中部太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁の東160km、アメリカが指定した航行禁止海域から30km以上離れた海で操業していた。この船の乗組員だった大石又七さんが語っている。
仮眠していた船室に、黄色い光がサーっと入ってきた。慌ててデッキに上がったが、何が何だか分からない。しばらくして、晴れていた空が一変して暗くなり、白い粉が降った。口に入るとジャリジャリし、肌に触れるとチクチク痛んだ。(「中国新聞」2004.1.1)
この日アメリカが行った水爆実験「ブラボー」は爆発の威力15メガトン。16キロトンの広島型原爆の938倍になる。爆発によって噴き上げられた膨大な量の放射性物質(「死の灰」)によってマーシャル諸島の人たち、周辺海域で操業していたマグロ漁船の乗組員など多くの人が被曝するが、さらに、この「死の灰」は世界中に撒き散らされて日本でも雨から放射能が検出された。まさに「地球汚染」とも言える大事件が起きたのだ。(マーシャル諸島の人たちについてはブログ「那須正幹さんの遺言」に書いた)
船が真っ白になるほど降り積もる灰に異変を感じた第五福竜丸はすぐに漁を打ち切り帰路についた。しかし翌日から乗組員に頭痛や吐き気、下痢などの症状が現れ、3月14日に静岡県の焼津港に帰港した時には乗組員23人全員の皮膚が赤黒く変色して水脹れができ、髪が抜けた人もいた。急性放射線障害だ。すぐに症状の重い二人が東大病院に入院し、後日残りの乗組員も入院となった。
16日、読売新聞が「ビキニ原爆実験に遭遇」「原子病」などと大きく報道すると他の報道機関もすぐに後を追い、森滝市郎さんはラジオのニュースで知った。その日の日記に「ビキニ原爆実験の灰をかぶりし漁船の乗組員の原爆症発病の報伝わる。ラヂオをきき悲憤やるかたなし。一家おそくまでラヂオききつつ怒る」と記した。(「中国新聞」2025.3.1)
第五福竜丸のマグロは15日早朝に焼津魚市場に水揚げされ、東京や大阪などにも送られた。そのマグロが放射能にひどく汚染されている事がわかったのは翌16日。もう一部は店頭で売られていた。当時の厚生省公衆衛生局は、マーシャル諸島周辺海域で獲れた魚は全て放射能検査を実施し、その結果、年末までに856隻の漁船の被曝が確認され486トンのマグロが廃棄されたという。しかし、第五福竜丸以外の被曝を知らないで操業を続けていた漁船は、帰港後に獲ったマグロを廃棄させられたのだが、乗組員はというと、「頭を洗っておけ」と言われたぐらいで事実上放置されたという。(「中国新聞」2011.4.4)。
というか、隠されたというべきではなかろうか。
広島大学の星正治さんらの放射線研究グループは2014年に、アメリカがマーシャル諸島で核実験を続けていた1954年3月から5月の間に付近を航行した船の乗組員の歯や血液を検査している。分析の結果、乗組員が浴びた放射線量は、広島でいえば爆心地から1.6kmあたりで被爆した人と同じぐらいだったのだ。(「中国新聞」2014.8.8)