1945年8月7日、アメリカでは「今後70年間、広島の廃墟に足を踏み入れることは危険である」という談話がワシントン・ポストなど新聞の一面をにぎわせた。談話を発表したのはマンハッタン計画にも参加したというハロルド・ジェイコブソンだ。NHKスペシャル取材班が新聞記事を翻訳している。
広島に投下された原子爆弾の被害の程度を確かめようとする日本人の試みは、自殺行為である。その結果、血液中の赤血球が破壊され、酸素を取り込むことができなくなり、白血病の患者と同じように死亡することになる。また、原爆の放射線は約七〇年間消えないという実験結果もあり、広島は四分の三世紀近く、月と同じような荒廃した地域となる。(NHKスペシャル取材班『原爆初動調査 隠された真実』ハヤカワ新書2023)
アメリカ政府はあらゆる手を使ってこの「70年生物不毛説」を握りつぶした。アメリカ政府は自国民に対しては、こんな非人道的な兵器を使うわけがないということにしたかったのだろう。一方、日本向けのラジオ放送では「70年生物不毛説」を流し続けたという。日本国民の戦意喪失を目論んだに違いない。
毎日新聞が「70年生物不毛説」を報道したのは8月23日で、広島には翌日に届いた。
その記事は大ゴシック活字で「残された原子爆弾の恐怖」「今後七十五年間は棲めぬ」という大見出しをつけたセンセーショナルなもので、「火傷は単なる火傷ではなくウラニウムの特殊作用によって血球を破壊し、呼吸の非常なる困難を伴って漸次悶死する」とか「爆撃後といえども被害地域を歩くものは人体に何らかの故障を生ずる」とか、「広島と長崎は今後七十五年間、草木はもちろん一切の生物は生息不可能である」とか書いてあって、ポンペイの廃墟のように、「広島・長崎の廃墟は戦争記念物として永く保存すべしという声が各方面に起こりつつある」と、結んであった。(小倉豊文『絶後の記録』中公文庫1982)
事実、広島ではけがは軽かったのに急に高熱を出し、血を吐いて死ぬ人があった。後で市内に入った人が、自分もまた同じように死ぬのではないかとパニックになることもあった。ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』には次のようなエピソードが描かれている。
原子爆弾投下から一カ月近くもたって、急に気分が悪くなった人がたいそう多い。ありがたくない噂がひろまりはじめ、とうとう可部の家で禿頭になって病臥していた中村初代さんの耳に伝わった。――原子爆弾が広島に一種の毒を蒔いて行った。それが七年間は殺人的な放射能を発するから、その期間中誰も広島に入れない。噂を聞いて初代さんは狼狽えた。(中略)その噂を知ってから急に、アメリカに対する憎悪怨恨が戦時中にも覚えのないほどの激しさで燃え上がった。(ジョン・ハーシー『ヒロシマ 増補版』法政大学出版局2003)
戦後広島に乗り込んだアメリカ政府当局者のした仕事は「70年生物不毛説」の完全否定だった。それは中村初代さんなど多くの人を安心させはしたが、反面それは、残留放射線の被害をすべて覆い隠すということでもあった。