人類の自殺81 地表爆発2 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 世界最初の核実験は地表爆発だった。1945年7月16日、広島・長崎への原爆投下に先立って、ニューメキシコ州の砂漠で行われた核実験「トリニティ」だ。使われたのは長崎に落とされたのと同型のプルトニウム原爆で、まだ暗かった午前5時30分、高さ100フィート(約30m)の鉄塔上で爆発した。

 

 「突然、夜が昼に変わった。それはものすごく明るかった。そして、寒けが暖かさに変わっていった。火の玉はサイズが大きくなるにつれ、空高く上がっていくにつれ、徐々に白から黄に、それから赤へと、変わっていく。およそ五秒後、暗闇は戻ったが、空と空気は紫の輝きで満たされ、まるでオーロラに囲まれたようだった。われわれは畏敬の念を持ってそこに立っていた。爆発波が砂漠からかなりの量の土をすくって、すぐにわれわれを素通りしていった」(カイ・バード他『オッペンハイマー(中)原爆』ハヤカワ・ノンフィクション文庫2024)

 

  この時の様子がハイスピードカメラで記録されている。写真を見たら、生まれたばかりの火球はつるんとした半球状をしていた。その火球は、爆心地から20マイル(約32km)離れたところにいても感じるほどの熱を持っていた。

 1945年8月6日の広島の原爆の場合、高度600mで爆発した1/10,000後に約30万°Cの火球が出現した。この時点で半径は約14m。これが爆発0.015秒後に半径約90m、表面温度1700°Cとなり上昇を始める。0.3秒後には火球の表面温度は7000°Cまで上昇。1秒後に半径は約140mと最大化するが表面温度は5000°Cまで低下し、1.4秒後に火球はそのエネルギーの8割、3秒後に全てのエネルギーを放出したと推定されている。(広島市国民保護協議会核兵器攻撃被害想定専門部会『核兵器攻撃被害想定専門部会報告書』2007)

 地表爆発したら爆心地周辺は5000°C以上の熱にさらされるという。そうなったら、建物も人も、何もかもが溶融、気化してしまうだろう。

 トリニティ核実験の痕跡は今もかつての核実験場(「トリニティ・サイト」)に残っている。中国新聞の金崎由美さんは2015年にトリニティ・サイトを訪れた。

 

 同州の主要都市アルバカーキの南約150キロ。車で進むと、枯れ草色の広大な草原の中に、高さ約3.6メートルの記念碑が現れた。フェンスには「注意 放射性物質」と書いたプレートが掲げられている。

 「でも線量は低いですよ」。カミラ・モントーヤ広報専門官(45)が語る。手渡されたパンフレットによると、1時間当たり1.5ミリレム(15マイクロシーベルト)。それでもこの地域で自然界にある放射線の最大10倍になる。

 地面に緑のガラス状の小石が散乱していた。磨けばアクセサリーにできそうだ。「これがトリニタイト。核爆発時に砂が溶けたもの」。手でつまみ上げ、説明してくれた。一瞬、触れるのをためらった。(「中国新聞」2015.1.7)

 

 広島でも、爆心地の島病院の斜め向かいにあった清(せい)病院の塀に使われていた安山岩は、石の表面が溶け、それが再び固まってできた大きさ数ミリの黒いガラスの塊を肉眼で見ることができると言う。(広島平和記念資料館 平和データベース)

 これに対して爆発直後のトリニティサイトでは、爆発でできた大きなクレーターに砂漠の砂からできた緑色のガラス状の石が1〜2cmの層をなし、まるで池のように見えたとか。