1954年3月15日、第五福竜丸の乗組員が東大附属病院で急性放射線障害と診断された。これをスクープしたのが読売新聞。16日付朝刊社会面のトップに「邦人漁夫 ビキニ原爆実験に遭遇 二十三名が原子病、一名は東大で重症と診断」の文字が躍り、日本中が大騒ぎとなった。日本漁船がビキニ海域で獲ったマグロからは強い放射能が検出され、「原爆マグロ」と呼ばれて、すべて廃棄処分された。なお、この時点ではまだビキニ環礁でさく裂したのが水爆だったことを国民は知らされていない。
東京の病院に入院した大石又七さんたち第五福竜丸の乗組員は、白血球数が日を追って減少し、発熱、下痢の症状が続いた。医師は連日、輸血、ビタミン注射、抗生物質の投与を行い、その効果が出たのか白血球数は元に戻り始めたが、今度は肝臓に障害が出てきて、9月23日、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった。大石さんは、久保山さんの死はC型肝炎によるものだと言う。
わたしはたまたま久保山さんと同じ部屋に入院したので、久保山さんが亡くなるまで、ずっと様子を見ていました。その悲惨な状況が、今も頭に残っています。当時は分からなかったのですが、輸血によって、C型肝炎ウィルスに全員が感染したんです。(中略) 久保山さんだけがそうなっているんじゃなくて、全員そうなっているんです。久保山さんが苦しみながら死んでいくのを見て、その次はだれだろうって、思ってましたね。(「中国新聞」2008.2.28)
しかし、直接の死因がウイルス感染による肝炎だったとしても、感染の原因となる大量の輸血は白血球の減少など深刻な放射線障害の治療のためだった。アメリカの水爆実験の加害責任がうやむやにされてはならない。
放射性物質が体内に取り込まれて肝臓にダメージを与えることも確かだ。
当時第五福竜丸の放射線量を測定していた静岡大学教授の塩川孝信さんは、頼まれて船内にいたネズミを二匹捕まえた。見たところ普通のネズミだったが、東大病院で調べたところ、ネズミの肝臓は異常に肥大していたという。(塩川孝信「ビキニ事件の思い出」静岡大学文書資料室『静岡大学歴史散歩』2020)
しかし国民が関心を持ったのは、ネズミよりマグロだったろう。1954年5月になって、海洋調査船俊鶻丸(しゅんこつまる)がビキニ海域へ派遣された。同乗したNHKのディレクター村野賢哉さんは、船がビキニ環礁に最接近した6月12日、ガイガーカウンターが鳴り響く中を大声で実況録音した。
「なんという恐ろしさでしょう。この澄み切った海の中から引き揚げられる魚という魚から、凄まじい放射能が測定されています。水爆実験が終わって1カ月以上も経つのに、ビキニの西方80カイリの海は、こんなにも放射能で汚れています。…」(村野賢哉「海は恐ろしく汚れていた」アイソトープニュース「ビキニ事件から30年」日本アイソトープ協会1984)
この時、イカ、そしてカツオやマグロの肝臓から亜鉛65など高濃度の放射性物質が検出されている。海水に混じった放射性物質が、プランクトンからイカ、そしてカツオやマグロという食物連鎖によって濃縮されていたのだ。海が核のゴミによって汚染されている。「原爆マグロ」はその警告を世界に発信したはずだった。