「はだしのゲンは有りか無しか」だけでいいのか2 | ヒロシマときどき放送部

ヒロシマときどき放送部

2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 広島市内中心部の小学校は、どこも前身の国民学校が原爆で焼け落ち、多くの子どもや先生が命を絶たれている。家族を失い孤児となった人も多い。学校の周りは見渡す限り焼け野原となった。

 今、学校の近所にはそんな話をしてくださる人がいらっしゃる。体験記が残っている。写真や「原爆の絵」もあるし、自分の学校での出来事を取り上げた本があったりする。学校の内外には被爆建物や被爆樹木、「慰霊碑」もある。

 だから、いくつもの小学校が学校独自の平和教育プログラムを作っている。広島市の平和教育プログラムでは小学校3年生について「被爆の実相に触れ、生命の尊さや人間愛に気付く」を目的に「戦争があったころの広島」について学ぶとしているので、これらの学校の3年生は自分たちの学校でどんなことが起きたのかを話してもらったり、町を歩いて調べ学習をしたりしている。教室で教科書を読んでいるだけではないのだ。

 中区の千田小学校では校庭にあった被爆樹木のカイヅカイブキが一本枯れてしまった。その枯木をなんとか活用できないかと知恵をしぼってパンフルートが作られ、それまで平和の歌を歌っていた「千田小学校合唱隊」がパンフルートの演奏にも取り組むようになった。演奏会では某高校放送部が司会をしたりテレビドキュメント作品を上映したこともあり、私も生徒にくっついて行ってパンフルートの音色を楽しむことができた。

 「千田小学校合唱隊」の活動は『パンフルートになった木』というお話しになって出版された。「千田小学校合唱隊」は、今は「千田パンフルート合唱隊」となって学校の枠を超え広く地域に開かれた取り組みとなっている。

 このように、子どもたちが自分をとりまく現実に目をむけ、地域の中で学んでいくことこそ平和教育の出発点であり、また常に立ち返るところではなかろうか。

 では「はだしのゲン」はもうお呼びではないのか。そんなことはない。「はだしのゲン」の反戦メッセージ、人間愛は何度読んでも心惹かれるものがある。でもそれは漫画の一部分だけ切り取るのではなく、読み通してこそ、その良さが感じられるものだろう。

 広島市は平和教育での「はだしのゲン」の活用を訴える声に対して、「子どもたちの手の届くところに置く、いつでも読める場所に置く」と明言した。(RCC中国放送ニュース 2023.2.21)

 「子どもの権利条約」には、子どもは「いかなる種類の情報及び思想をも、国境を超えて求め、受け及び伝える自由」があると定めている。この子どもの自由(制約を受けない)を保障するには図書館の役割が大きい。平和教育は特定の教科で行われるものでもないし、教室の中だけで行われるものでもない。学校の図書室もまた大切な平和教育の場であり、子どもの人権が保障される場だ。

 「人権のないところに平和はない」と言われる。子どもたちが自分から本を選んで自分のペースで読むことができるのもまた、子どもが大切にされているということではなかろうか。

 「こんどは『いわたくんちのおばあちゃん』を読みたいな」「『はだしのゲン』もおもしろいよ」といった子どもたちの声が聞こえてくる学校であってほしい。