ヒロシマの記憶54 科学者の訴え1 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 広島文理科大学助教授の小倉豊文が広島市内を一望する比治山の山頂に立ったのは8月6日の正午ごろ。しかし目に飛びこんできたのは一面の焼野原だった。いったい何事が起きたのか見当もつかず、小倉豊文は山頂で出会った一人の陸軍将校に「これは何事ですか」と問うた。

 まだ若い将校は文理科大学の理科の卒業だと言った。

 

 「実は僕――(といって大急ぎでいいなおして)自分は原子爆弾じゃないかと思うんですが……」

 俺は自分の耳を疑った。

 「原子爆弾!」

 「ハア」

 「じゃあ、あのウラニウムの……」

 「ハア、理論的にはとにかく、技術的にはまだ日本では不可能だときいていましたが、たった一発でこの被害では、どうもそうじゃないかと思うんです。もちろん自分にもよくわかりませんが――」(小倉豊文『絶後の記録』中公文庫)

 

 小倉豊文は、原爆は「マッチ箱一つばかりの分量で、富士山ぐらいは吹き飛ばす」という話を思い出した。それは新聞か雑誌で得た知識だったろうが、広島文理科大学の理系の学科を卒業したというこの将校は詳しい話を誰から聞いたのだろう。

 6日の朝、「暁部隊」で軍事訓練の教育係だった井門(いど)豊さんが下士官や兵士と一緒に小型船に乗り組み宮島に向っていた時だった。突然あたりが真っ白に光ったかと思ったとたんに爆風に吹き飛ばされ、気がつくと目の前にはとてつもなく巨大な火柱が出現していた。

 

 直ちに船を停め私の過去の実戦の経験から何が起ったかを瞬時考えてみた。火薬庫の誘爆と一瞬頭に上ったがそんな火薬庫があるはずもなく、たとえ誘爆でもこんな巨大な火柱が起こるエネルギーはない。数々の戦場で身近に魚雷、空爆の体験をしたがスケールがまるで違う。そのとき私の頭にとっさに「これは原子爆弾に違いない」と閃き大声で叫んだ。

 原子の核分裂のときの巨大なエネルギーは、マッチ一箱分で戦艦をも撃沈できるぐらいだということをその当時、大学の専門の教授の講演会で聞いたことを思い起こしたのであった。(井門豊「広島での被爆体験記」広島原爆死没者追悼平和祈念館)

 

 その講演会とは、広島に原爆が投下される前日に宇品の陸軍船舶練習部で行われた講演ではなかろうか。当時日本有数の理論物理学者で広島文理科大学の教授、同大附属理論物理学研究所所長の三村剛昂(みむら よしたか)が、原子爆弾実現の可能性について語っていたのだ。

 

 三村教授の講演が終り、質疑応答がおこなわれたとき、加藤中佐が立って、「原子爆弾とは如何なるものですか。今次戦争に実用化可能ですか。」と、質問した。

 三村教授は、構造式を黒板に書いて説明し 、「東京の仁科博士一派の研究室は、すでに究明されており、偉大な性能のものですが、今次戦争には、到底間に合いません。」と答え、「要するにキャラメル一個大の原子核が爆発すれば、広島市くらいは一度に壊滅するものです。」、と説明した。(『広島原爆戦災誌』

 

 6日、自身も原爆で重傷をおった三村剛昂は講演会の運営責任者を呼んで、「昨日は誤ったことを話して申しわけない。」と詫びたという。