これまで世界は1950年の朝鮮戦争や1962年のキューバ危機といった核戦争の危機を乗り越えてきた。けれど核戦争の勃発を阻止したのは「核抑止力」とは限るまい。世界の平和運動や国連の努力を決して忘れてはいけない。
しかし、核戦争が起きなかったからといって危機が消え去ったわけではない。そして、もしかしたら今この瞬間にも起きるかもしれないのが核戦争だ。
『核先制攻撃症候群』を書いたロバート.C.オルドリッジは、もとはロッキード社のミサイル設計技師だった。会社を辞めた理由についてこう書いている。
トライデント・ミサイル計画が始まったときに私は、ペンタゴンの関心が、ミサイル格納サイロといった「堅固にした」(hardened)敵の発射陣地を破壊できる精確な「第一撃」兵器を手にすることにあるのに気づいた。これは、攻撃をしかけられた時にのみ報復するという政策からの重大な転換であった。(R.C.オルドリッジ『核先制攻撃症候群―ミサイル設計技師の告発―』岩波新書1978)
「核抑止」のための報復であれば、広島・長崎のように市民の暮らす都市の上空で核爆発をおこせばよい(良いわけはないが)のだから、精密に照準を合わせる必要はない。しかし、大陸間弾道ミサイル(ICBM)が格納された堅固なサイロを破壊するためには、秘かに、すばやく、確実に破壊できる核ミサイルのシステムが必要になろう。それが今、アメリカやロシアなどには配備されているのだ。
どこの国の指導者であれ、自分から核戦争をおこしたとなれば後世の悪評は免れまい(人類が生きのびていたとすればだが)。一方、敵国の攻撃を受けてからの反撃となれば被害を受ける自国民の不満は当然であり、指導者としてはできればそんな不満の矢面には立ちたくない。とすれば、相手国の攻撃の意図を察知したらすぐさま、それを叩き潰したい、だから精確な「第一撃」兵器を求めようとするのだろう。イギリスの理論天文学者ロアン=ロビンソンもこう述べている。
現代の兵器がもつ命中精度は、相手の兵器をサイロのなかで破壊できることを意味し、見たところ「第一撃(ファースト・ストライク)」をますます魅力的なものにしています。(M・ロアン=ロビンソン『核の冬』岩波新書1985)
そして続けて「第一撃」にはこんな危険性があると警告する。
巡航ミサイルによる攻撃の場合は、警報時間がきわめて短いので、報復は最初の警報から数分以内に決定され、実施されなければなりません。そこのところに偶発的な核戦争の恐ろしい可能性がひそんでいるわけです。(『核の冬』)
このごろまた、政府与党や防衛産業の代弁者たちは、日本にも「敵基地攻撃能力」が欲しいといいだした。「反撃能力」と言うのだそうだ。自民党の石破茂はこう言っている。
一定の反撃能力を持てば、相手国が「日本を攻撃すれば、自分たちの基地なども攻撃されるかもしれない」と思うだろう。日本を攻撃する判断が複雑になり、日本を攻撃する戦術をより難しくする効果が期待できる。(朝日新聞「GLOBE+」2022.4.27)
ICBMを持っているような相手国が不安に思うほどの「反撃能力」いや、敵基地“先制”攻撃能力とは一体どれほどのものが必要になるのだろうか。そして、持てば持ったで、相手国による、秘かに、すばやく、確実な「反撃能力」の対象となるのは間違いあるまい。