爆心地ヒロシマ60 「黒い雨」の正体6 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 2010年、広島市による大規模なアンケート調査の分析から、「黒い雨」が降った範囲は従来政府が認定していた雨域の3倍広いことがわかった。

 私が今暮らしている北広島町の集落も、あの日焦げた紙きれが舞い降り、泥のような雨が降ったのだが、政府の認定した雨域からは外れていた。今回晴れて?私の亡き祖父母も実は被曝していたことが認められることになる(あの世から申請すればだが)。

 2010年7月5日の中国新聞は、「『黒い雨』解明に挑む」として最新の調査研究の成果と課題について特集しているが、その中に「きのこ雲と黒い雨」の解説と説明図があった。同じ中国新聞の2008年4月28日の特集記事を少し修正したものだ。

 記事によると「キノコ雲」は実は三つの雲から出来ているという。まずキノコの笠に当たる部分は、原爆がさく裂してできた超高温の火球が膨張しながら上昇するうちに温度が低下してできた「原爆雲」だ。中に含まれるセシウム137やストロンチウム90、ウラン235などの強い放射能を持つ微粒子は水滴に混じり、雨となって降ってきた(「放射性降下物」)。体内にとり込まれたら特に危険だ。

 広島平和記念資料館には「黒い雨」が染みついた白壁が展示してある。その黒い部分からは近年セシウム137とウラン235が検出され、広島の「黒い雨」に放射性降下物が含まれていたことの確かな証拠となった。(静間清「これまでの黒い雨の測定結果等について」広島“黒い雨”放射能研究会『広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状』2010)

 「キノコ雲」の軸に当たる部分は火球と地表の間に猛烈な上昇気流が発生してできた雲(「衝撃雲」)だ。爆発の衝撃と上昇気流で土や埃が吹き上げられたから、「泥の雨」が降る。その土やほこりには誘導放射能を持つマンガン56やナトリウム24などが含まれていたとみられる。2013年に中国新聞は次のように報じた。

 

 広島に原爆が投下された1945年8月6日に入市し、被爆した青壮年期の男性は、9日以降に入市被爆した同年代男性と比べ、がんによる死亡リスクが高いことが、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の大谷敬子助教(統計学)たちの解析で分かった。入市被爆をもたらした残留放射線の主要な発生源が、土中などに含まれるマンガンであることも特定した。(「中国新聞」2013.10.12)

 

 2021年にはラットを使った内部被曝の実験結果も報道された。

 

 放射能を帯びた二酸化マンガンの粉末をラットに吸い込ませ、6時間後~8カ月後までに計6回、解剖して肺の状態を調べる。すると、肺にとどまった放射性微粒子の周辺で組織が傷ついているのを確認できた。肺全体の炎症や出血などの症状は、体外から放射線を浴びせたラットよりも強く、しかも長引く傾向が見られた。(「中国新聞」2021.1.4)

 

 それは低線量でも内部被曝であれば影響は大きく、また、雨でなく空気中の塵や埃を吸っても被害を受ける可能性があることを示した。

 最後に火災によって生じた低層の「火災雲(煙)」。火事で生じたススで「墨汁のような雨」が降るが、もちろん誘導放射能を持っている。

 こうして「黒い雨」には「死の灰」とも呼ばれる「放射性降下物」、そしてこれも危険な誘導放射能を持つ土やほこり、ススが混じっていたことが証明された。しかしこうした事実が報告されるようになったのはここ20~30年のことではあるまいか。