さんげの世界50 「原子爆弾症臨床記」の章6 | ヒロシマときどき放送部

ヒロシマときどき放送部

2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

  『耳鳴り』によれば、「後生の大事」と言う母親に正田義男さんは「よくわかっとる」と答えたという。そして、「忙しくなるぞ」と叫んで息を引きとった。

 

 お浄土に 参ればとても 忙がしく なるよと語り 大空を見ぬ

 

 極楽浄土とはどのような世界で、そこに行ったらどうなるのか。昔は安芸の国と呼ばれた広島県西部は浄土真宗の門徒(信者)が多く、昔はびっくりするぐらい熱心な人がたくさんおられた。

 中国新聞に勤めながら当時広島を代表する歌人でもあった山本康夫さんは、長男で広島一中1年生の真澄君を原爆で失くした。8月6日の夜、臨終の真澄君は問いかけた。「ほんとうにお浄土はあるの?」と。

 

 僕はぎくりとした。妻もちょっと狼狽した様子であったが、「ええ、ありますとも、それはね、戦争も何もない静かなところですよ、いつも天然の音楽を聞くような、とてもいいところですよ」と、かねて聞き覚えの浄土の壮厳についてくわしく説明した。(山本康夫「浄土に羊羹はあるの?」秋田正之編『星は見ている〈平和文庫〉』日本ブックエース2010)

 

 浄土真宗の教えを学ぶことを「聴聞する」という。浄土のすばらしさを詳しく語ったというのだから、山本夫妻もそれまでよく聴聞されてきたに違いない。そして真澄君のお母さんは、浄土は戦争のない世界なのだと語った。考えてみればその通りだ。なにしろ、極楽とは一切の苦しみが存在しない世界だから極楽と言うのだ。

 でも、戦争がないところというのは、その戦争で死んでいく我が子をせめて心安らかに旅立たせたいという母の切なる願いから出た言葉に違いない。

 それでは、浄土に行ったらどうして忙しくなるのか。

 阿弥陀仏の人々を救うはたらきは二つあるとされる。ひとつは「往相(おうそう)」。私たちを浄土に生まれさせるはたらきのこと。浄土に生まれたら私たちは仏となる。

 仏になったら何をするのか。「あ~極楽、極楽。いい湯だな」などとのんびりしているわけではない。すべての人を悟りの道に導くのが仏なのだ。これだから忙しい。

 阿弥陀仏の二つめのはたらきを「還相(げんそう)」という。いったん浄土で仏となったのが再びこの世界に還って来て、この迷いの世界において人を悟りの世界へと導く。仏教では、仏が人を悟りの世界へ導くことを「済度(さいど)」という。

 

 還相(げんそう)の 済度(さいど)を云ひて 死にゆきし 従兄(ひと)のくちもと えみをとどめぬ

 

 忙がしく なるよと告げし 従兄(ひと)はいま 何の生にか 還相(げんそう)しにけむ

 

 正田義男さんは、9月3日に浄土に旅立った。

 四十九日。一周忌。そんな日はひときわ、今はなき従兄の語った言葉が思い出されたことだろう。今生(こんじょう)では思いのままに働くことができなかった従兄は、今は仏となって忙しくしているに違いない。もしかしたらもう、この世に還って来ているだろうか。還ってきたとしても、今はまだ「オギャーオギャー」と泣いてるだけだけれども。

 正田篠枝は思ったに違いない。では今生きている自分は、これから何をなすべきなのかと。