被爆者の訴え48~核兵器禁止条約のうったえ1 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 2017年7月7日、ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約が採択された。核保有国による核軍縮が一向に進展せず、むしろ後退して行く中、多くの非核保有国やNGOが固い結束によって核兵器にNO!を突きつけた。

もちろん条約は核保有国すべてに自ら核兵器を放棄することを要求しているのだから、実際に核兵器廃絶が実現するは気の遠くなるような未来になるかもしれない。(もしかしたら地球はその未来を迎えられないかもしれない)。それでも、核兵器をたとえ使わなくても、持っていたり、それで脅したりすることでも、人の道に反していると世界が明快なメッセージを発し、これからもずっと発し続けることは、核兵器廃絶の運動にとって大きな進展だ。

 核兵器禁止条約の前文には次のように書かれている。

 

核兵器の使用によって引き起こされる壊滅的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重大な必要性を認識し、廃絶こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である。(「核兵器禁止条約前文」部分 「朝日新聞」訳)

 

これは、「国家存亡の危機」を訴えれば自国民や相手国の国民、その他の人たちをいくら殺そうとも許される「国家安全保障」ではなく、人類すべての生命と健康、環境の安全保障を第一に尊重し求める運動の一つの到達点である。

条約の前文には「ヒバクシャ(hibakusha)」という文字が見られる。

 

核兵器の使用による犠牲者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験による被害者にもたらされた受け入れがたい苦痛と被害を心に留める。(「核兵器禁止条約前文」部分 「朝日新聞」訳)

 

原爆がいかに悲惨なものであったか。それはキノコ雲の写真を見ただけではわからない。生き残った人が命を削りながらも世界に訴えて、ようやくここまで来た。

 

「水ヲ下サイ」 原民喜

水ヲ下サイ

アア 水ヲ下サイ

ノマシテ下サイ

死ンダハウガ マシデ

死ンダハウガ

アア

タスケテ タスケテ

水ヲ

水ヲ

ドウカ

ドナタカ

 オーオーオーオー

 オーオーオーオー

 

天ガ裂ケ

街ガ無クナリ

川ガ

ナガレテヰル

 オーオーオーオー

 オーオーオーオー

 

夜ガクル

夜ガクル

ヒカラビタ眼ニ

タダレタ唇ニ

ヒリヒリ灼ケテ

フラフラノ

コノ メチヤクチヤノ

顔ノ

ニンゲンノウメキ

ニンゲンノ(原民喜「原爆小景」)

 

核兵器禁止条約前文には、もう一度「ヒバクシャ(the hibakusha)」が出てくる。

 

核兵器廃絶への呼び掛けでも明らかなように人間性の原則の推進における公共の良心の役割を強調し、国連や国際赤十字・赤新月社運動、その他の国際・地域の機構、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学界ならびにヒバクシャによる目標達成への努力を認識する。(「核兵器禁止条約前文」部分 「朝日新聞」訳)

 

正田篠枝が1947年10月に秘かに出版した原爆歌集『さんげ』の中に次の歌がある。

 

人類に貢献する人を励まして布施愛敬(あいぎょう)せんこの残生捧げ(正田篠枝『さんげ』私家版)

 

正田篠枝が原爆による乳がんで亡くなったのは1965年6月15日。まだ54歳だった。しかし、歌は後に続く人をずっと励まし続けている。