「壊滅の序曲」の物語は、正三が長兄のもとに舞い戻って1か月以上たったころから始まる。「正三」は原民喜のことであろうから、民喜が広島に着いたのは2月4日なので、3月上旬あたりということになる。
「ラジオは硫黄島の急を告げていた」とある。
硫黄島はアメリカの爆撃機が飛び立つようになったマリアナ諸島と東京のほぼ中間に位置し、硫黄島の飛行場は日米両軍にとって絶対に譲れない重要拠点であった。2月19日、アメリカ軍は硫黄島への上陸作戦を開始し、それから1か月の間、し烈な戦闘が続いた。
しかし、正三と次兄の清二にとってより重大な関心事は長兄順一とその妻高子の関係がよろしくないことだった。高子が家を飛び出したのは今度で三度目だという。従業員に示しがつかない。
順一たちの森家(原家)は被服支廠の統制下で縫製工場(森製作所)を経営していた。清二の着ている「黒羅紗の立派なジャンパー」や、奥座敷の「飛きり贅沢な緞子の炬燵蒲団」が森家の豊かな経済を示している。もっとも戦局の悪化は森製作所の行く末も心細くしたようだ。
高子は「戦争によって栄耀栄華をほしいままにして来た」のだが、正三の妹康子は、高子がこの数年ひどく変わったという。姿をくらましては、しばらくしてケロリと家に戻り、またまた家を飛び出す高子の心のうちを、家族の誰も理解できなかった。
生真面目な清二は、高子には「勤労精神がないのだ」と不満を言った。これを聞いた正三には思いついたことがあった。
「だが、この戦争の虚偽が、今ではすべての人間の精神を破壊してゆくのではないかしら」(原民喜「壊滅の序曲」)
しかしその場では、その言葉は浮いていた。清二に軽く一蹴されてしまう。
「ふん、そんなまはりくどいことではない、だんだん栄耀の種が尽きてゆくので、嫂はむかつ腹たてだしたのだ」と清二はわらふ。(原民喜 同上)
けれど正三は本家に戻ってきたその日から、家の中に漂う空気の異常さを感じていた。何かやりきれないものが潜んでいるようだった。そしてその原因についての正三の考えもあながち的外れではないのではなかろうか。
中国新聞記者だった大佐古一郎は3月10日の日記に次のように記している。
荒神町の隣組は、十時以降消灯しなかった家庭は組長が電球を没収することを常会で申し合わせ、八日から実施しているという。(大佐古一郎『広島昭和二十年』中公新書1975)
世間はギスギスしていくばかりだ。順一はいらだって言った。
「愚図愚図すれば、皆から馬鹿にされる。四十にもなつて、碌に人に挨拶もできない奴ばかりぢやないか」(原民喜 同上)
長い間離れているうちに兄たちは随分変わってしまったと正三は思った。
みんなが、みんな、日毎に迫る危機に晒されて、まだまだ変らうとしてゐるし、変つてゆくに違ひない。ぎりぎりのところをみとどけなければならぬ。――これが、その頃の正三に自然に浮んで来るテーマであつた。(原民喜 同上)
正三も含めて森家の人たちがどのように変わっていくのかが、この小説で読み解いていかなければならないことだろう。しかし、それは同時に、世の中がどのように(壊滅に向って)変動していくのかということでもあるだろう。