「夕凪の街桜の国」から~皆実のこと4 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 倒壊した広島一中の校舎から脱出した生徒のひとり片岡脩さんは学校のプールからさらに外の墓地を抜けて比治山の方へ逃げた。途中で建物疎開作業の生徒を引率していた川本先生と出会った。

 

 先生は全身火傷で、上衣もズボンも焼けてブラ下っていた。一中の生徒と一緒に同じ作業場で作業をしていた女学院の生徒も、先生と同じ様に全身火傷をして、髪の毛も着物も全部焼けてしまっていた。(片岡脩「脱出生徒の記録」広島県立一中被爆生徒の会『ゆうかりの友』)

 
 あの日雑魚場町で建物疎開作業に当たっていた女学校は、附属山中高等女学校、県立広島第二高等女学校、そして広島女学院高等女学校の三校だった。
 当時女学院の2年生だった小田直子さんによると、8月6日の朝、学校を7時30分に出発して雑魚場町についたのは8時過ぎ。作業場所は広島一中の裏門前だった。(小田直子「被爆体験について」国立広島原爆死没者追悼平和祈念館)
 同じ女学院2年生の村本節子さんは、原爆がさく裂したのは広島一中の南庭(たぶん一中の運動場)に荷物を置き現場で作業を始めた途端だったという。(『広島原爆戦災誌』)
 愛宕(旧姓迫田)尚代さんも2年生で、まだ列の先頭で同級生と話をしていた。その時頭上で飛行機の爆音がした。さっき空襲警報解除のサイレンが鳴ったのにと不思議に思った。(愛宕尚代「四次元の炎」広島女学院同窓会『平和を祈る人たちへ』)
 「B29よ」
 小田直子さんは誰かの叫び声を聞いた。瞬間、閃光が走った。
 直子さんは地面に叩きつけられ、しばらく気を失っていた。気がついた時あたりは真っ黒だったが、少しずつ明るくなってきた。
 
 友の姿を見て驚いた。血まみれになっている人、火傷して皮膚が真黒になっている人、髪の毛は逆立ってぼうぼうになっていた。普通なら、すぐ目をそらせたくなるような姿である。私の黒く焼けただれた手からは、油が汗のように流れている。異様な臭。(小田直子「被爆体験について」国立広島原爆死没者追悼平和祈念館)
 
 一方、迫田さんや村本さんは少し違う体験をしている。