もがき嘆く心が照らされて 19 小説『黒い雨』2 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 井伏鱒二の小説『黒い雨』の中で最も強い訴えは次の部分であろう。

 

 戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。(井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫)

 
 8月10日、閑間重松は石炭の手配をするために広島へ出かける。横川橋から寺町に入り、相生橋のたもとまで来た。眼に入るのは死体の山。とんでもない悪臭。そして死体に群がる蠅、這いまわる蛆虫である。
 以前、私が体験談をお聞きした方は、やはり10日ごろに同じコースをたどって市内に入られたが、臭いにたまらなくなって相生橋につくまでに引き返したと言われた。
 小説の主人公のモデルである重松静馬さんは実際に寺町から相生橋、紙屋町まで歩いている。紙屋町ではあちらこちらで死体の火葬が行われていた。死体からは蛆虫が這い出ていた。
 その情景を見た時の重松さんの感慨は次の通りである。小説とは違う。
 

 あゝこれが戦争か、戦果か、これで広島も終りかと歩き乍ら考えた。(重松静馬『重松日記』筑摩書房)

 
 では、「戦争はいやだ…」の言葉は井伏鱒二の創作、井伏鱒二の思いなのか。
 『重松日記』を読み進めると、そうではないことがわかる。
 8月13日、重松さんはカレンダーの余白の文言に目がとまった。「最も正しき戦争よりも、最も不正な平和を私はえらぶ」とあった。
 
 正しき戦争より不正な平和をえらぶ、正しき戦争より不正な平和をえらぶ……。この句にとびついて、力の限り抱きしめて、はなしたくない。(重松静馬 同書)
 
 8月14日には、火葬の煙を見ながら、市内で見た死体の数々を思い出した。無残な光景が目の前に浮かんできた。
 
 ああ、戦争はいやなものだ。惨劇の情が全身を凍結してしまう。此の戦争に、勝っても敗けても、どちらでもよい。一刻も早く終ればいい。(重松静馬 同書)
 
 小説『黒い雨』において最も強烈な思い、訴えは、重松静馬さんが実際に思ったことであった。それを井伏鱒二が小説の形にまとめたあげたのだった。