縮景園の被爆樹木 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

縮景園の被爆したムクノキ 空洞があって今にも折れそうだ

被爆したイチョウ 傾いているのは原爆以前からとわかった

『広島の木に会いにいく』(石田優子 偕成社 2015)より

被爆したクロマツ 樹脂が多い松の木が焼けずに残ったのは奇跡的

(写真3枚とも 2016.8.6撮影)

 

 緑豊かな縮景園の内で、原爆の後まで生きのびた樹木は3本だけ。

 縮景園の復旧は1949年から始まった。2年後に開園されるが、近くの山から持ってきた木が植えられただけだったという。本格的な復旧はさらに10年後のことだった(「縮景園の8.6⑤」『中国新聞夕刊』2005.7.30)。

 同じ1949年の8月6日。原爆供養塔には、泉邸(縮景園)・千田町・大河の3か所で発掘された合わせて240柱の遺骨が、この日納骨されたと記録されている(原爆供養塔説明版)。