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滋賀解放同盟お弁当の猫きのこkairuです🐾

 

そうそう、12日は萩尾望都エドガーの誕生日でもありますが、世間一般では母の日でしたね。

 

私が記念日がどうでも良いと言う価値観は過去お話ししていますので割愛させて頂きますが・・・

 

それで、思い出しましたが、私はカーネーションが嫌いなのです。

 

あらためて真顔「そうやわ、私カーネーションが嫌いなんよ。」と呟くと

 

すかさず娘っこがキョロキョロ「知ってる。ず~っと小さい頃から『お母さんカーネーション嫌いやから』って言われ続けて来たし。」と言うではありませんか。←そんなこと言ったなんて覚えてない・・・

 

娘っこに言われて色々思い出してみたのですが、どうも、大昔にハルさんと一緒にカーネーションを贈ってくれたことがあって、その時は気持は嬉しいが、カーネーションが嫌いと複雑ながらも、とても喜ぶふりをしたのですが、1年待って、次の年に実は私は「気持は嬉しいけど、カーネーションが嫌いだから買って来ないでね」とカミングアウトしたことを思い出しました。

 

思い込みの激しい人は、私が母のことがよほど嫌いだったからカーネーションまで嫌いになったのねとか、カーネーションをあげて嫌な思い出があったのねと、勝手な妄想を繰り広げてくれると思うのですが、大きく的外れ。

 

カーネーションとかマリーゴールドの形が嫌いなんです。

 

いちばんすきな花と言うドラマの結論は「いちばんって決めなくてもいいじゃない?みんな好きでもいいじゃない?」って言う事だったと思いますが、私のきらいな花と言うのも嫌いに理由がなくたっていいじゃないってのが結論になるかと思います。

 

花でさえあれば万人が好きだと言うのは思い込みだと思います。

 

カーネーション に対する画像結果

 

しょうがない・・・

 

マリーゴールド に対する画像結果

 

私にとっては茎も葉っぱも花の形もみんなイマイチなんだもの。

 

それ、直すとか、直さないとかじゃなくて、私の単なる好き嫌いの問題なんです。

 

関連する画像の詳細をご覧ください。石のブロック塀のテクスチャー | フリー写真テクスチャー素材

 

姫路市に住んでいる家はこの塀が嫌いで嫌いで、ぶっ壊してなんとかしたいと常に思っていたし、人の好き嫌いって仕方ないけど、わたしはそれがちょっと度が過ぎるようです。

 

まあ、仕方ありませんね。

 

それが私なんだから。

 

カーネーションが嫌いなことをず~っと黙っていて、私を思ってくれた気持が嬉しいと喜ぶふりをするのも私はなんか違うと思うのです。

 

 

お話は変わりますが、私のストレスを溜めない人との接し方。

 

 

良くして貰ったらずっと覚えていて、いつか何かの形でお返ししたいと思います。

 

反対にああ、この人周りを見下しているんだなと感じたり、こちらをないがしろにして来られたら軽蔑するし、悪意を感じたらお返ししたいと思います。

 

鏡のように相手に接するのが私の人との接し方で、精神衛生上一番だと思っています。

 

そう言う、何かがある前はいつも私の頭の中で人は平らなんです。

 

誰が上だとか下だとか関係ないので、よほど、心の底から尊敬の念がこみ上げてこない限りは、このブログでは「さん」「先生」など敬称は略しています。

 

例え、人間国宝だとしても自分がすごいと思わなければすごいと思わないし、アウトサイダーアーティストでもすごいと思ったら尊敬しますし、素敵だなと思ったら感動します。

 

そんな中、え?と感じた違和感を書いちゃいます。

 

これ。

 

 

確かにYOSHIKIは年齢は上だし、世界的に認められたアーティストなのかもしれませんが、野球の世界とは全然別物。

 

日本人の心の中に自然と畏怖の念が植え付けられている天皇陛下でもあるまいし、野球一筋でやって来た山本由伸選手が帽子を被ったままの握手は不敬だとか、勝手な自分のヒエラルキーを押し付ける人ってどうだろう。

 

私がひたすら尊敬するプリンスは別に尊敬しようと思ってしたわけでもなく、世界が認めていたから尊敬したわけでもなく、私の中で自然とすごいと言う感情が沸き起こったから尊敬するのであって、他の人がプリンスのスゴさを理解していなかったからと言って、腹も立たないし、プリンスに対して失礼とも思わない。

 

きっとプリンスの事を認めなかった人がいてもプリンスがその人に「俺を認めろ!」と怒るような事はないと思うし、むしろ、すごさを理解出来ない哀れなヤツで終ると思います。

 

プリンス に対する画像結果

 

そして、それに対して、私がプリンスのスゴさを認めなかった人を責める訳もない。

 

 

そう言えば、面識のない20代女性に「一緒に飲みに行かない?」「俺は(某グループ)のメンバーだ。知らない?」などと声をかけ、「知らない」と断られたことに立腹して暴力を振るって泥酔逮捕された人がいたような・・・

 

 

山本由伸選手は別にYOSHIKIのことを認めてなかったわけではなく、自然と帽子をとるほどは尊敬してなかったってだけで無意識のことじゃないでしょうか。

 

自然とこみ上げる崇拝から感じる圧を、野球と言う物差しで測る世界の住人は、感じなかった。

 

 

そこ、言われてもなあと言う感じです。

 

大谷さんは驚くほど繊細に色々な人の立場を察して、相手を尊重できる貴重な人だと思いますが、その大谷さんも野球ばかりのことを考えて、口座に一切ログインしていなかったことを金銭管理が出来て無いって余計なお世話を焼かれるのですから、一般人の基準の押しつけって五月蠅いなあと思ってしまいます。

 

そんなとこをグリグリ突かれて広められたYOSHIKIも気の毒な気がします。

 

 

人が誰を崇拝するかしないかはその人の自由。

 

そして、人が何かを嫌ったり好きになるのも何かに夢中になってそれだけに集中するのもその人の自由。

 

誰かに迷惑をかけていない限り、世界に認められているからとか、皆がそうだからと言う勝手な基準で誰かのヒエラルキーを押し付けるのはやめて欲しいなあと思うのです。

 

色んな価値観の人が住みやすい世界であって欲しい。

 

 

 

 

 

今日のにゃんこ

 

窓の隙間から裏のお家を覗いた後

 
 
元の位置に飛び上がったティラさんの身軽さを
 
 
驚いて見上げている
 
 

身重(身体が重いって言う意味)のまんぷぅドキドキ