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滋賀解放同盟お弁当の猫きのこのkairuです🐾
2連続でレビューとなります。
先日ついに最終回を迎えたどうする家康。
と、ある理由により、相当辛口の感想になっているかと思います。終盤愚痴の垂れ流し!
年の終わり、自分は楽しく見たのにと思われる方はスルーして下さいね。
最初はひらパー兄さんの信長目当てで見ていたのが
途中から徳川四天王が面白く、井伊直政や服部半蔵、大鼠に沼りまくり、すごく楽しい一年でした。
全く興味のなかった時代劇なのに、はまりまくって伊賀や甲賀に行ってみたり、関ヶ原古戦場記念館に行ったり、関ヶ原の合戦の小早川秀秋の陣地跡を見るために松尾山に行こうとしたり
愛知まで旅行に行ってどうする家康の岡崎大河ドラマ館へ行ったりと、もう、ぞっこん夢中になりました。
視野が開けて新しい世界が見えたようで嬉しかったです。
しかし、無知のせいか、ちょいちょい色んな知識を拾い読みしていたら、ここ描いて欲しかったなってとこが抜けているのに気付きました。
例えば、なぜ、石田三成を裏切ったのかほぼ説明の無かった小早川秀秋。
過去色んな角度からドラマ化されていると思うので、小早川秀秋視点のものもあったかも知れないのですが、私は全くと言って良いほど時代劇を見て来なかったので、豊臣秀吉の妻ねねの甥であり、秀吉の養子になったものの秀頼が生まれたため小早川家に移ったと言う生い立ちから、裏切るべくして裏切ったと言う風に描くなら←ここ想像です、その辺りをもっとしっかり描いて頂きたかったと思います。
大谷𠮷継の亡霊に悩まされて亡くなった説とか、掘って面白そうなところはいっぱいあったのに残念です。
反面、全話の配分があまり宜しくないなと思ったのが、途中これいる?ってダレるような私からしたらどうでも良いと思えた感動エピソードが多々あり、最後が駆け足になってしまったように思えたところ。
そんなことに尺をさくなら、豊臣秀頼と茶々が何を思って一旦和解しようと思ったのに反旗を翻したのか、台詞なしの謎の大野治長の母大竹しのぶの存在とかだいぶ説明不足な気がして、こっちも存在感を示すなら示すで、しっかり時間を取ってやって頂きたかったです。
それと玉鉄(大野治長)の切腹を手伝う茶々の振る舞いから、やっぱ、秀頼、このふたりの子やんと思わせましたが
それより、秀頼は介錯して貰えたからすぐに楽になれたけど、他の人達、腹は切るけど中々死ねない上、火が回って来たら焼け死ぬなんて一番嫌な死に方で、うぇ~っと思ってしまったアテクシ
石田三成もそうですが、本当に豊臣の事を思って戦った人達なら、どっちかと言うとこっちが正義。
さらに、茶々が織田家の血をひいているからええやんって思えばそうですが、でも、本当に豊臣秀吉の事を思って戦った人達は実は秀頼が大野治長と茶々との不義密通の子だったら踏んだり蹴ったりじゃないかな、などと、変なとこで介錯なしで切腹する家臣達に同情を覚えましたよ。
このなんとも、どっちかと言うと家康の方が悪じゃね?と思わせるシチュエーションでもなんとか家康を良い人設定にしようと言う部分に無理が出て、なんか説得力が無いお話になったかと思います。
大騒ぎして亡くなった瀬名の頭お花畑満開構想も息子の切腹事件も不自然でなんだか・・・
昔、山岡荘八の織田信長や太閤記を読んで空想娯楽小説的にとても面白いと思ったものの、禅の心云々と言う小説徳川家康は徳川家康の嫁子を守らなかったと言う人柄が嫌いで納得行かず、途中で読むのを挫折したのですが、今回のどうする家康を見て、時代劇自体にはまって気付いた事があります。
時代劇好きな人って、結論ありきのそこへ行き着くまでの大きなうねりと捉えて歴史を見ているので、自然と達観されているような気がするのです。
変に奇蹟を信じたり、神に祈ったりとかしなくて、時の流れをひとつのものとして捉えて、結局、人の生き死にはぼうふらのようにその時代に翻弄された運の賜であるってこととして理解して受け入れているような・・・
頭お花畑の綺麗事を子どもに押し付けた私の母の教えの矛盾に馬鹿正直に向かい合い、上手く折り合いを付けられずに随分と苦しんだ私としては、もっと早く自然と実存主義に辿り着くようなこの世界を知りたかったと思いました。
※余談となりますが、現在、実存主義の私としては、神秘主義については、基本、霊の存在も輪廻転生も運命も全く信じておりません。しかし、何かを信じる気持はとてつもなく強いものを人に持たせる力があり、与える側の承認欲求を満たすなどを含む利益誘導の為の誤った方向ではなく、統計学からの確率論を根拠として、受ける側がポジティブになり、良い方向へと導く力を授ける役割と言うのはとても大事で必要だとも思っています。
そこへ、徳川家康を、絶対善として位置づけようとした古沢良太の脚本は、新解釈とかアップデートとか言うものではなくてむしろ主役は善ではなくてはならないと言う古くさい勧善懲悪時代への逆行のようであり、回帰であると思います。
松本潤の演技は私的にはすごく良かったと思いますし、サブキャラも生きてキラキラしていました。
しかし結論ありきの時代劇なので、辻褄が合わないところがわんさか出て来て、最後は思考のパズルが納らなくなって、ピースがあまりまくったかなって感じが否めませんでした。
戦いのない国を手に入れた神の君が築き上げた徳川の世が果たして人々に幸せを与えて理想の国となったのでしょうか。
善人だから魅力的とは限らず、弱く醜くても在りのままである事が逆に人間としてのオリジナルの魅力となる、と言うのがやっと人々に浸透して来た現代ドラマの在り方だと思います。
史実を元にした時代劇の魅力は、まずは結論ありきでそれに矛盾しない肉付けの部分の解釈が如何に独創的であるかにかかっていると私は思います。
しかし、どうする家康は、沢山の人が当たり前の事として受け入れてきた史実と矛盾しまくり、そこに無理があったように思えます。
歴史が頭に入っていない私があんなに面白かったのに視聴率がいまいちだったのは、往年の時代劇ファンの不文律を破り続けたせいで、手堅いはずだった層が付いて来れなかったからだと思いました。
ところで、ここからは怒濤の憤怒の始まりです。
散々矛盾を感じながらも、優れた魅力に溢れた家臣団と共に戦い抜いて来た殿の人生は面白く、なんともハラハラしながらも楽しかったです。
最後は家康を支えた家臣団が出て来てきっと号泣すると思ってましたし、激しく期待していたのですが・・・
が
推しメン井伊直政
岡崎大河館の時そうだったし
関ケ原の戦いの島津の捨てがまりの鉄砲が原因で亡くなった井伊直政の描き方も回想どころかナレーションだけだったし、その上、最終回でも徳川四天王のうちのひとりなのにはみごにされて出て来ないってなんで?
あれだけ真っ直ぐに殿に尽くして
散々歴史探偵とかで探索させておいて
扱い酷くない?
アタシのお気に入りの服部半蔵も大鼠も出て来ないし・・・なんか服部半蔵一瞬の回想シーンで出ていたらしいけど・・・
どうする家康のお陰で過去と未来がつながっているような広がりを感じられるようになり、この場所でこんなことがあったのかなどと思いを馳せられるようになり、時代劇が大好きになったきっかけを作って下さった画期的なドラマだったのに
▇今日のにゃんこ
生まれた時は美少女だったのに
大きくなったらまんぷぅそっくりになった