ご訪問頂きまして有り難うございます。

お弁当の猫きのこのkairuです🐾

 

本日は結構、面倒臭いお話しです。

 

文メインですので、苦手な方はここでお引き返し下さいね照れ

 

 

ブログを書いていて良かったなって思ったことがありました。

 

くぅ。さんが

 

”②三重県の心霊スポット帰りにみつけたお宝パン屋” | ボチボチでええやん! (ameblo.jp)

 

リブログして下さいました。

 

リブログして下さったことが嬉しいと言うよりは、その共感の仕方がすごく嬉しいちゅー

 

 

以前から書いていますが、私はひとつの事を皆で集まって「そうだ、そうだ!」って言っているのが苦手です。

 

例えば、「戦争反対」について子育てブログに主婦が集まって「戦争はいけない!」ってコメントのみで盛り上がっているのを読むと、「いや、当たり前やし。『戦争するのは正しい』って人は見たこと無いし。問題は、だから『戦争を避けつつ、及び腰のせいで世界で日本がなめられず、攻められない立ち位置を確固たる物にするにはどうすれば良いか』ってことが究極の課題じゃないの?」って、『戦争反対さえ唱えていれば正義』みたいな思考の単調さにうんざりします。

 

「ではどうしたら良いのか」と言う方法論なしでの呼びかけは、私には「私は戦争を反対する立場を主張する人です。」と言って承認欲求を満たしているに過ぎないように思えてしまうのです。

 

「戦争反対」は当然、間違ってないけど、それですごい事言ったみたいな形で自己完結するのは不毛だと思います。

 

なんなら議論を進展させる目的で一石を投じる為に「戦争大好き~面白~い!うへへへ~」って言う釣りキャラがひとりくらい欲しいくらい。

 

本当の最善な方法に辿り着くのに必要なのは多様性ではないかと思うのですが、酒場で集まって政治論を戦わせるような国ではない日本ではデべートの土壌が育たないのも無理ないかと諦めてしまっています。

 

建設的な議論に慣れていないから、全部、「自分を否定された」に思考が行ってしまって、結果、怒りを買うだけで、なんの結論も出ないってパターンになるのは目に見えているので、議論する気も起こりません。

 

 

くぅ。さんは色んな不可解なものを見たと断言して、その上で私の言う説も可能性ありかもと思って下さっていて、そう言う切り口の角度がすごく私には嬉しい。

 

 

うちも娘っこもハルさんも不可解な体験はしているのですが、それと磁場の影響であると言う私の仮説とは相反しません。

 

だからと言って、不可思議な体験を磁場の影響であると言い切ることも出来ないので、霊の仕業である可能性も否定出来ません。

 

あらゆる人が自分の体験を元にそこから色んな推論を発展させて行って、それをお互いが相手を否定して何が正しいのかと言う結論を争うのでは無く、「へぇ~私とは違うけど、この人、こんな角度から立証したいと思ってるんだ。面白い。」「でも、自分は自分の信じている違う方面から考えて見るよ。」って形で共感して行ったら、それを持ち寄ってそのうち発展的な何かを見つけることが出来るのではないかと思うのですが、そう言う人ってたくさんいるようで実はとっても希少なのです。

 

 

 

 

 ↑勝手に実存主義認定している曲。ミスチルは愛の歌の中にこう言うのが混ざっているから好き💗

 

くぅ。さんのリブログの高須クリニック高須幹弥先生の動画、拝見しましたがほぼ私と同じご意見で、同じ出発点の方はたくさんいらっしゃるのだと思います。

 

お葬式やお墓は残された人の為にある。

 

私もそう思っているのです。

 

一時、半村良にはまって色々読みましたが、代表作に嘘部シリーズがあります。

 

 

もう半世紀も昔に読んだっきりなので、間違っているのかも知れませんが、確か、正倉院がなぜ、あんな手薄な警備でありながら宝物が盗まれず、そのままの状態で現存することが出来たのか。

 

それは密かに朝廷(?)の命を受けた嘘部の暗躍があったと言う設定です。

 

彼らは祟りにあったと言う噂を広める為に実際に死んで見せて、伝説を作り上げ、それを信じて恐れた人達が宝物に手を出さなかったと言う話です。

 

 

これを読んで半村良の斬新なアイデアに感心しつつ、このやり方がそもそもの暗示の正体ではないか、現代に信じられている呪いや祟りなどの神秘主義は、すべて強烈な過去からの暗示が影響しているのではないかと考え出したのが発端です。

 

逆に言えば、良い方に暗示を利用すればたくさんの人達の悲しみを救うことになると思いますので、そちらの意味では神秘主義というものの存在は大事だと思いますし、必要だと思っています。

 

しかし、それには、暗示で良い方向に導いているのか、私利私欲やプロパガンダに利用されていないか、これを見極める客観的な思考が必要だと思っています。

 

今の日本にこの客観的な思考の持ち主がどれだけいるかを考えると、神秘主義は薬毒表裏一体で怖い部分があると思っているのです。

 

 

 

お話しは戻りますが、私のブログ、書きたいことを書き、言いたいことを言っているので、「私はこの人と違う。私はそうは思わない。この人は間違っている。」から入るとすぐ出口で終わりです。

 

「へぇ~この人、こんな風に考える人なんだ。私は違うけど、それはそれで面白いね。そっち角度からも検証してみてもいいかもね。」と思って下さる方々がブログを通して思考のやりとりして下さったら本当に嬉しいです。

 

常に勝ち負けの土俵に上げようとする、承認欲求の塊のような議論の戦争を仕掛けて来る人は苦手。

 

皆で誰かが作った道を一緒に手に手を取って歩いて行く結論ありき集団のひとりでは無く、それぞれが自分の方向を向いて未開拓の崖を登りながら「そっちはどうですか~?こっちは只今行き止まりで~す。」って呼びかける間柄が理想なのです。

 

ってことで、くうさん、ツボのリブログ有り難うございました。

 

 

 

▇本日のにゃんこ

 

まんぷぅはアンティークショップパルテノンで購入した

 

 

お気に入りのドローリーフテーブルの上で新聞紙と戯れるのが最近お気に入りなようで

 
 
天板をキズまみれにされたら嫌なので、ビニールを応急処置に置いていて
 
 

それがなんか嫌なまんぷぅ。

 

ふ・・ニヤリちょっとずつずらして天板が見えて来ている・・・