そんななか、家にこもることも多くなり、色々と考える時間もこの一ヶ月ほどは多かった。
僕の年齢や今の健康状態であればおそらくは新型コロナにかかっても大丈夫そうだとは思う。
でも、回復したとしても免疫とかに後遺症はないのか??とか「新型」なのだから不確定な部分を考えると「一歩間違ったらヤバイ」という緊張感はいつも感じていて、どこか毎日心落ち着かない。
ある種、いつも以上に死が身近に感じられる、そんな時間を過ごしている。
そのことを思ったとき、なんのために生きるのか??ということを改めて考えた。
僕は、東日本大震災の時、同じように「何のために生きるのか?」をすごく考えた。
結果、一般的なクリーニング屋さんとしての仕事は辞めた。
多くの人に、洗濯について伝えたいと思って活動を再スタートさせた。
それが今の「洗濯家」としての仕事につながっている。
そして今また、この「なんのために生きるのか??」ということを突きつけられているように思う。
やっぱり僕は、洗濯からセカイを変えたい。
家庭に「洗濯」を伝え、セカイに「本物の洗濯文化」を創り出す。
そのことに自分の命を懸けたいと思う。
これまで、セカイはどう考えてもおかしな基準で物事が図られてきてしまったと思う。
何かに付けて「お金」で基準が図られる。
どれだけお金が儲かるか?だけで作られたセカイだと言っても過言でない。
その視点で行くと「洗濯」は、最も軽視されてきた文化の一つだと思う。
できるだけテキトーに短時間で片付けることが是とされてきた。
「洗濯を教えている」というと、「ナニソレモウカルノ??」みたいな目を向けられてきたことも数知れない(笑)
でもね。
「心を込めて手入れをし、一つのものを大事に大事に長く使うこと。」
「家族や大切な誰かのために愛情を込めて洗濯をすること。」
これ以上に尊い、人間的な行為はないだろ??
そんな風に僕は感じています。
少しずつ、少しずつ、本当の「洗濯」が伝わっていった時、本当にセカイは変えられる。
僕はそう思う。だから、これからも「洗濯」を伝える。
コロナ問題の中、僕ができることはやっぱり洗濯を伝えることしかない。
だから僕は、今度の土曜日から、リモートでセンタクスタジオを始めることにしました。
僕は洗濯で、あなたは何でセカイを変えますか??
