テーマソングはまんまパイレーツオブカ○ビアン
PS3購入時に同時購入した海外RPG。
海外では賞を総なめにしたそうで、さてどんなゲームでしょう?
このゲームは、良くも悪くも日系の王道ドラクエ・ファイナルファンタジーと真逆にいるRPGですね。
日本のRPGが至れり尽くせり、
乗っかっていれば至高のエンターテイメントを特等席で満喫させてくれるものだとすれば、
本作品を代表に海外作品は、楽しみ方がプレイヤーに依存されています。
楽しませてくれるのか、楽しむかの違いがあります。
(遊ばれるか、遊ぶかの違いとも?)
どちらが良いという議論では無いですが、国民性が出ていて面白いです。
日本はやはり「おもてなしの文化」ですので、お客様にいかに楽しんでもらおう、という事を第一に考えます。
ゲーム購入して頂いたお客様にいかに楽しんでもらおうという接待を最大限盛り込む訳ですね。
FFなど、これでもかと次から次へイベント・ドラマをプレイヤーに降り注ぎ、飽きさせないような仕組みがてんこもりです。
反してアメリカ含めた海外は、自分がどう楽しむかを主眼におきます。
自主性を重んじる文化なのですね。
変な例えですが、「授業を受ける」という単語をどう表現するかがそれを如実に表しています。
日本語はまさに受身な「受ける」という言葉を使います。先生が教えてくれる(生徒は受ける)というスタンスですね。
英語だと授業は「取る(take)」になります。自主的に生徒が学ぼうとする態度が見えますね。
今回のオブリビオンでもこの特徴が「自由度」という点に良く出ていると思います。
自主性が重要になってきているのです。
<自由度について>
このゲームが語られる際に人々が口をそろえて「このゲームは自由だ!」と言います。
一般的にRPGの自由度と言うと、
「キャラメイキングにバリエーションがある」
「ストーリーにある程度の分岐がある」
などなどですが、ではここで言う自由度とはなんでしょうか?
オブリビオン世界はどの選択肢をとっても、その先で生活(もしくはドラマ)が発生するように入念に準備されています。
通常、特に日本伝統のRPGでは、得する回答はほぼ一通りで、
プレイヤーはいかにそれら「得なもの(宝物だったり、イベントだったり)」を見逃さないように意識しながらプレイしなければなりません。
場合によっては後で攻略本をみて「あの洞窟にはxxxの鎧があったのか!ロードしてやりなおさなくては・・・」などなど。
時折ゲームに遊ばさせてもらっている窮屈感を感じてしまった事はありませんか?
要は冒険しているように見えて、裏では全てが出来レースになっているのです。
おどろおどろした洞窟。でも苦労の割に得るものがショボかったりします(逆もあります)
ですがオブリビオンの世界は「偶然性」による展開を演出しています。
実際の人生で、多くの人は現在就いている仕事を「元々やりたかった仕事」だと思える人は少ないでしょう。
殆どの場合は数多くの偶然による進路選択の結果として現在の自分がいるのだと思います。
例えば、
たまたま数学のテストでまぐれでいい点を取って「自分は理系に向いている」と勘違いし、理系に進んだ、
友達が入っていた野球部に誘われなんとなく入ったら、以降野球人生になった(?)
知り合いに無理矢理ひっぱられて興味は無いけど今の会社に入った、等など・・・
よほど意思の強い人で無いと、子供の時から「俺は社長になる(どこかの飲食グループの社長?)」と決意し、
その為の努力を惜しまない、といった人は多くはないですね。
オブリビオンでも同じ事がいえます。
ゲーム開始初期に、自分の分身の人種と、なんとなくの「素質」を選びます。
これが要は人として変えられない「元々の自分」ですね。
この「自分」をもとにオブリビオンの世界にほりだされますと、幾多の「偶然」の出会いが発生します。
偶然手に入れた魔法の使い勝手が良く、使っているうちに魔法力が上がりその力をもってマジックギルドで出世物語をするも、
間違ってガードの持ち物をスってしまい見つかり逮捕され、腹いせに盗賊の道に歩むも、
モンスターを殺そうとしたら目測を誤って見方を殴り殺してしまい、殺人クラブからの勧誘がきて道を踏み外すも、
バンパイアに血を吸われ、昼が歩けなくなり夜な夜な民家に進入し吸血するも、
もちろんゲームスタート時から強い意志を持ち強い世界を救う事のみ考え日々精進するもよしですが、
細かいところでも数多の偶然による針路変更がちりばめられています。
そして、このゲームのすごいところは、どの道を歩んでもその先に十分にプレイヤーを楽しませる準備(クエスト)がある事です。
これによりプレイヤーは気兼ねすることなく偶然の出会いに身をゆだねることができるのです。
ですがこれだけですと人によっては
「一本道のストーリを幾つも用意して束ねているだけで根本的には一緒じゃないか」
という人もいるでしょう。
確かに一つ一つのクエストは結局出来レースに近く、ストーリは決まっています。
ここでもう一つの要素がこのオブリビオンの世界に強烈なスパイスを効かせています。
この世界で生活をしている人々(NPC)の行動は人口知能を元に動いています。
(人口知能と言うと大げさですが、ある程度のルールを元に行動している、といった程度ですが)
そして場合によって偶然の事故等によりNPCが死んでしまったりする事があるのです!
狩をしていた人の矢が偶然に通行人に当たり殺し合いをしていたり、
熊に追いかけられ殺された人がいたり、
盗賊に追いはぎにあい殺されて道に転がっている人がいたり、
空き家だと思って入った家に人がいて攻撃にあって返り討ちにしてしまったり、
で、問題はこの死んだ方々がとあるクエスト上で重要人物だったりするのです。
つまり出来レースだと思ったものが、思わぬ事で引っくり返る事があるのです!
何かの拍子に市民と警察が大乱闘??逃げる市民と無謀にも警察に喧嘩ふっかける人達・・・
これによりプレイヤーは通常RPGの物語が保証されている感覚から、何が起きるかわからない(実際の人生に近い)感覚でプレイする事になります。
この要素がオブリビオンの世界を彩る事に重要な役割を果たしています。
私は、「自由な進路を選べる」というポイントより、実はこの「何が起こるかわからない」という感覚が
一番「自由」という感覚を強調しているのではないかと思うのです。
ちなみに私のプレイではこんな感じでした。
足が速い以外際立った特徴が無い為にまずは生活資金稼ぎに安定企業(戦士ギルドと魔法ギルド)に入ったが、
頭が悪い事がわかり魔法はあきらめ戦士ギルド一本でサラリーマンする。
だが、とあるミッションで目測誤りで味方を撲殺してしまい、噂を聞きつけた闇の軍団から殺し屋へのスカウトが来たが、
一旦断るも別ミッションで止むを得ないとは言え罪の無い人を殺害してしまい、
悩み苦しみダースベイダー化して闇の軍団に入り暗殺を生業にするようになる。
が良心もほんの少しのこっており、時折こっそり世のためオブリビオンゲートを閉めに向かう・・・
こんな人生を歩んでおります。
【レビューその2へ】
「なにすとんだおめー」