昔読んでた雑誌、テレビブロスの広告で知って昔買ったa列車で行こうdsもかなりデータがあるので作った街とか紹介できれば。こちらはフリーモードで地形だけ作って最近まで遊んだりしてた。
今思えば小学生高学年の頃からdsにはお世話になっていた。女の子とも遊べたし、友人もできた。dsiには懐かしい写真もいくつか。
それでもやはり長続きする友達は奇人変人が多くて、そのうちの1人は小学校で1番レベルに足が速いサッカー少年なのに暗い趣味があり、時に加虐的であった。親は良い人なのだけど。
悪ふざけがすぎる、ゲームで負けると暴力など。
後に仲良くなった家行き来してポケモンやったり、マリオやったりしていた頭の良い転勤族の転校生の友達は前者と関わるのをやめるように言ってきていた。
(別の話ででてくる家行き来してて本人の妹や母親とも面識のあった転勤族の道具999個改造の転校生の友達とは別人。ちなみにゲーム好きの転校生の友達はさらに居た。余談だがこの母親に別件でガチ説教されたことがある。)
しかし、鬼ごっこやドロケイなどをする男女グループが自然と形成
(異次元レベルに足が遅くても前書いた記事みたく裏に隠れて生き残るような子供だった。)
されていたりしたのと、
さらに暴力的、盗みなどをする(みかけたことがある。)人間にも能天気に、時に傷つきながらも寂しがり屋なので普通に接していたこともあり、それよりはましなサッカーとも関わり続けた。
私は小学生の時は基本的に都内の公共施設と漫画と映画がみれる埼玉県内の公共施設をゲームを持って転々とするホームレスのような少年だった。
ある日某区立図書館の自動販売機のあるスペースでサッカーとゲームをしていた。やめれば良いのに私はおそらくエアコン用である天井側のコンセントの穴に充電器をさして充電しながらやっていた。
すると、職員がやってきた。虚をつかれた気がした。特に怒られはしなかったが、天井から伸びるコードでシュールな光景である。
偶然?来たサッカーの父親らしき人が飲み物を奢ってくれた。彼に似合わずすごく良い人でまた虚をつかれたような気がした。
その後、賢い転勤族の友達は中学で進路が別れまったくコンタクトを取ってない。母親に説教された方の転勤族の友達は引っ越した。最初はやりとりしていたがめんどくさくなってしなくなった。
サッカーも引っ越した。小学生の頃遊んでたその他大勢も思春期を超えるとまったく交流しなくなり、頻繁に家に行ききしてた数人は全員今はもう連絡先も知らない。
インキャラかヨウキャラかで住み分けができる前は学校中が実験装置なアミニズム的交流関係なのかも。
中学に上がってしばらくしてからアルバムを取りに行った時、まったく話す人間がいないことに気づいた時に自分がアンダー側の人間だと気づいた。
しかし、中学に上がってからはまわりに合わせるために無理矢理興味のないラノベを読んだり萌え系アニメを見ようとしたりしたが、まったく馴染めず自分が何のかよくわからなくなる。読まずに処分したラノベや録画もある。
インキャなのに萌え系に興味がなく、怪しげなものにばかり興味がいくのはポケモン界隈内でも悩みの1つであるし、高校以降も悩むことになるが、Twitterでは似たような人が数人居ることは精神に安定をもたらす。
当時は意識していなかったが無意識にアイデンティティの形成について悩んでいたのかも。
逆に中学時代にハマったのがポケモンのレートと乱数調整、ブログ執筆、白土三平、地図、旅行、アメーバピグ、あるあるだけどRADセカオワバンプサカナクション(まだ音楽面は変わった物を求めてなかった)。
小学生の時にはまったのは藤子F、手塚、日本史の漫画、世界史の漫画、ゲームボーイアドバンス、現金(自転車で駆け巡り自動販売機で豪遊が楽しい。)、鬼ごっこ、ドッチボール、ドロケイ、西岸良平、水木しげるなど。
小学生の頃マリオカートwiiを持って道路を歩いていた時のワクワク感は今でも忘れない。
出された食べ物飲み物片っ端から拒否してごめんなさい。茶碗蒸し、ココア、謎の鶏肉など。
チョコレート好きなのにココアが何でできているか知らなかったの本当かわいいエピソードだと思う。今でもカフェ・オ・レ以上のコーヒーが苦くて無理だからびびってた。