ガバガバ日記〜かつめしんく〜

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ポケモンVGC実況者かつめしTV公式ブログ
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第1章ユンナンの風


中国語(北京語)を日本の国立大学で専攻した「私」は途方に暮れていた。特にやりたいこともなく、今までの人生で成し遂げたこともない「私」は半ば自虐的に自分の身体に負担をかけて現実から逃げ出したいと考えていた。


なけなしのバイト代でさてこれから死すまで暇な時間何をしようか。喰いっぱぐれて餓死しようと良い。そんな境地に至っていた。あてもなくテレビのチャンネルをチカチカと変えていると昼のワイドショーがやっていた。


どうやら現在の反米左派連立政権では中華人民共和国と仲良くやっておりビザも緩和しているとのことだ。預金残高の基準はちょうど自分の預金より一回り下だ。「私」はふとワンシーンが思い浮かんだ。それは中国の内陸でバックパッカーをする自分。


「自分探しの旅」というナンセンスな言葉は嫌いだがここは安直に池袋のパスポートセンターへ赴くこととした。成田から大陸までのチケットを予約すると私はロマンによる感慨に浸った。


「昔は敦賀や下関から船とトレインだったのに今は数時間で大陸に着くなんて便利な時代になったものだ。」翁くさいと自分でも思うことはあるが自分は未だ「青年」と呼ばれる年齢にもなったばかりだ。


とりあえずは適当な日数を決めて荷物を用意した。あれ、やり残したことがあったような。自分には何もないはずなのに。あー、アイツに別れの挨拶でもするか。アイツとは同じ学科の田所だ。


怠惰な自分は卒業要件ギリギリのHSK(中国語検定)4級で学部が終わったが彼女は6級に及第している。語学以外も優秀で授業や卒論は彼女無しでは突破できなかった。LINEで連絡しよう。


「実はね。僕は卒業したらあてもなく中国に行こうと思うんだ。日本より発展した沿岸ではなく、内陸へ。お土産にマニ車でも買ってこようかな。寝こぢるみたいな日記を書いて発表してもいいな。」


「え?急にどうしたの?留学ではなくて?よくわからないけど私も仕事が無ければ行きたかったかも。」


成都経由で私は中国に入り目的地の雲南のあまり手が入ってなさそうな農村へ向かった。拙い北京語(マンダリン)でも空港ではなんとかなったがここから先は知らない。とりあえず地元の漢人の言語は少し練習したが。


季節は初夏。東アジアのモンスーン的ジリジリ感はここでも相変わらず存在す。汽車に揺られながらひたすら何も変わらない風景をすぎてゆく。そして駅からなんとか乗り合いのワゴンに乗り地元の人が言う「イ族がたくさんいる場所」に着いた。


如何せんなれない土地、食べ物、水だ。車の揺れもあり私は吐き気と腹痛が止まらなかった。到着すると焦ってわけのわからない中国語で喚きながらトイレを探していると作業道具を木桶に入れて帰宅する途中の少女とすれ違った。彼女はイ族の民族衣装と装飾を身につけており美しかったのだが私は汚物でそれをめちゃくちゃに汚してしまった。桶に脱糞し、その勢いで嘔吐したのだ。


当然私は事を終えた後、大慌てで弁償と詫びの意思があることをなんとか説明した。やはり若い世代はある程度北京語がわかるようだった。焦る気持ちを抑え彼女の家を訪ねると彼女は中国語ではない言語で親と思われる男女にまくしたて始めた。


すると男女は大慌てとなり自分はひたすらシェーシェーと言いながら手持ちの現金を渡した。すると肩を叩かれて家の中の離れへ案内された。離れに着くと状況が理解できないので中国語の筆談で説明を彼女に求めた。


「私は両親に外国人のあなたと結婚すると言いました。これからよろしくお願いします。」


私は流石にこれはまずいと思い捲し立てた。

「わけがわからないです。あなたは私がジーベン(日本人)であることを知っていますか?」と。

すると


「日本人のことは知っています。自分の曽祖父母は昆明の街で日本軍に殺されたらしいです。学校でも日本については教わりました。」


「あなたは何がしたいのか私は全然わからない。」


「私は親の決めた縁談や進路が嫌なのです。だからとにかく環境を変えたくて漢人の街でも海外でも行きたいのです。」


筆談が終わって「場所が変わったってつまらないやつはつまらないままだよ!」と私が言おうとすると私は彼女に唇を奪われた。既成事実と言うわけだ。婚資としては多額の現金が渡ったことで話はついたらしい。


それからは恐ろしいペースで事は進んだ。自分も悪い気はしなかった。彼女は均一的なグローバリゼーションの香りが一切なくて純粋に美しいだけではなく自分が置かれた状況が「つまらない自分」を「おもしろく」してくれるのではないかと。


中国の役所や公安からの聴取や日本大使館とのやりとりを経て日本の両親に「とんでもない恋をした!」を嘘をついて送金してもらい日本への追加の旅券を得た。両親も何も方向性が定まらない自分がついに人生の決断をしたと喜んでいるようだ。


自分もちょっとした宮崎滔天になったような気分だった。

文化学院もなくなるような2020年台の今。


人生と自分の在り方に思うことのあるような人間は何をすればいいのか。


適度な暮らしをしていれば飢えることはあっても2つ前の元号。つまりは昭和よりは酷いことにはならず。


寿命は伸び、文豪は死んだ。人々は生きるために短期間で濃い活動をした。


あるものは若いうちに子をなし、あるものは身を立てようと立身出世のため怪しいまやかしの商いや野獣のようなサービサーなど時には手段を選ばずとも良く生きようとした。


そうした生きる活力がみなぎる風潮の世界においては創作や論説も活発になり、そのような類いのものを創ることが叶わぬ者であっても読者として参画することができた。


平成までの産物逐次刊行物、つまり雑誌は様々な趣味を網羅し友人を募ったり映像記録媒体を交換することがわざわざ余分な手間と時間をかけて行われた。


このように何か人と関わる際に余分なことをいちいちしていた上に寿命も短いので相対的に濃い人生をいにしえの人々は送っていたのではないか。


人々は元々堕落していた!とかこの場所は良い!とか落語や歌舞伎はここが良いんだ!なんてことは一々発表しようと面倒な印刷機にかけなくとも、どこからもなくテクストは出てきて自分から媒体を問わず発信することができる。。。


こうした寿命が長く手間が短縮された現代社会においてはポストモダンがどうこう面倒な手順で印刷された産物を読み合って中々のスローペースで論じていた時代と比較して余暇とも違う余暇が発生しがちである。


この空白のときをどのようにしてすごすかルーティンがあれば良いのだが無い場合人は自死する。


これは極論ではなく事実であると自分は本気で思っている。


例えばスマートフォンを毎日電車の中でも、徒歩移動してる時でもカタカタカタカタと永遠にいじり続ける人がいる。


友人の動向をみたり、連絡をとったり気になったことを調べたりしているのだろう。


昔なら著名人でなくとも一々書簡を交わしたり、電報を打電したり、図書館に足を運んでレファレンスしていたのだ。


この人間が生きる上で孤独と闘うための行為をするのにかかる時間の差をどのようにして埋めるか。


若い時の自分はそこがうまく見つからなかった。しまいにはいくらYouTubeをみてもTwitterをみてもつまらないしInstagramなんて意味がわからないし


楽しめることがテレビの中の比較的プレーンなコンテンツ。例えばスポーツ中継や映画を無心で見ることがまだ気分転換になった。


そんなことで空白時間をすごしていては心が病むのは当たり前である。


そうした中で「人は何故長時間生きて土に還るのを繰り返すだけなのにがんばろうとするのか」を考えてこうして今のように文章を書いたり、動画を出したり終わりのないポケモン対戦考察したり、河川が氾濫すれば一日中川の水位やライブカメラを見たり副産物的な時間潰しが誕生した。


自分は興味の対象が異常狭いがその中に続いたマイブームとしてわざと時間がかかる旅をするというものがある。


物価がどんどん上りレギュラーガソリンリッター180円、おにぎり1つ200円という中600円程で買えるバスの1日乗り放題券


(注 この部分は後世の人に物価感覚がわかるように膨張して付与した笑)


を朝っぱらから購入してたくさんの通勤団地と駅を経由しながら移動するというものだ。


団地の歴史や公共施設の配置とバスの路線図を楽しみながら時には徒歩乗り換えをして乗り継ぐ。


今回紹介したいかすみ野に行った歳のルートはバスのみで新座〜清瀬〜所沢〜川越〜かすみ野〜狭山〜入間〜青梅〜花小金井〜吉祥寺〜大泉


というルートだ。


かすみ野という地名を初めて知ったのは幼少期川越でバスの行き先としてみて不思議に思ったときだ。


今となっては大学時代に出入りしてた鶴ヶ島のキャンパスに近い霞ヶ関からきているのだとわかるが皇族が由来の朝霞のように霞がつくと何か神秘的である。


YouTubeでかすみ野の街並みを撮影して投稿した意図は以前から自分は自分の地元大泉の風致地区やひばりヶ丘団地、光が丘団地のような碁盤のような街並みや極端に整理された街並みにいると気持ちが悪くなる。


ましてはそこで何十年も同じ生活ルーティンをしている人達に囲まれているともっと気持ち悪くなるという考えを持っていた。


そのような人が1番行ってはいけない街並みを持っているのが川越のかすみ野である。


極端なニュータウンでまわりも西武菅沢ニュータウン?のようなニュータウン。バス停の折り返し場は円。


こんなところで何十年も決まった生活ルーティンを繰り返していて気が狂わないのだろうかと不思議に思う。


どこの駅に行ってもアトレやパルコ的駅ビルがあり同じ風景なのが気持ち悪いと思う自分だがあえて観光という点でいえば良い体験になった。


暇すぎてわざとある程度負荷をかけてみた!というやつである。


かすみ野のバス停の周囲は特に面白いので読者も住民に迷惑がかからない範囲で散策してみてほしい。

甲の高い靴を履いている地雷系女子を見た。


身長171という日本人男性平均身長の自分から見ても目線が違う。


何故あの手の連中はそうやってシークレットシューズで、よりによってその娘は元々大きいほうなのに身長を盛りたがるのか。


池袋駅の地下でやることが無さすぎてそんな意味不明な話題について考えていた。


すると頭の中でそれらしい解が出たのだった。


それは花魁の足元である。彼女らも足元が高い。



ポストモダンを経てさらに時代が流れ変わりゆく現代日本社会においても春を売る女性は目線を高くするというのは奇遇である。


赤線のようなものは現代の日本においては海外による影響で清国人を船から降ろした後徐々に衰退していった。


いまや満族による清国は解体され日本より資本的に豊かな共産国となったのは梁啓超も孫文も驚くだろう笑


話を戻すと、しかしながら腰を折って人力車を押す人、高さをシークレットシューズで増やす人、骨を自分で折って身長を増やす男の人、低身長をアピールする女の人などを見る限り足元というのは可変なら良いのになどと思う。


「高い程良い。」というのは虚である。もしも某独裁者と横に並んで手を握る機会があれば寿司職人であらずとも低いにこしたことはない。