今年度最大の勝負になると見込んで今日は休暇にした甲斐があったというものだろうか。超濃厚内容の激戦を伊藤が凌いで、藤井に逆転勝ちして、初タイトル奪取となった。早速報道も相次ぎ、ご本人の記者会見も行われた。抑制された喜びがそれとなく伝わるのが、伊藤の本格振りを物語る。

 

 

 

 

 この番勝負で伊藤が挙げた3勝の内、2勝は後手番での逆転勝ち。上の記者会見の最後の質問で「藤井には中盤でやはり差をつけられている」旨のコメントもあったが、差はつけられても押し切られずに堪える中盤の粘り腰、一気の寄り返しでひっくり返す終盤力が白眉である。間違いなくこの数か月で器が上がっている。

 

※これだけ強いのに5月にいくつかの痛い敗戦(久保、梶浦、岡部・・・どうしてこの人達に負けるかな?)を喫したのが不思議すぎる。伊藤が次にタイトル戦に登場するのは最速でも棋王戦まで待たないといけないわけで、うーんである。

 

 藤井は敗北したが、これで評価が下がるなどということは微塵もない。高品質の指し手はこの将棋も随所にあった。相手の受けの力が半端なさ過ぎたという総括でよいだろう。これで次期叡王戦では藤井が登場するので、藤井の将棋の観戦機会はまた増える。そこは楽しみにしたい。

 

 では、将棋の感想に入る。注目の手番だが振り駒で歩が3枚となり、藤井先手となった。正直なところ、藤井相手に後手番で2連勝できる人間がいるとは思えないし、最近の藤井の指しっぷりの充実をみると対山崎戦がいい調整になっているとしか捉えられず、やはり藤井が勝つだろうか・・・と予想したのは私だけではないはずだ。

 

 ただ序盤は角換わり腰掛銀から伊藤の右玉、藤井の穴熊に短時間で移行した。双方想定範囲内の展開だったようである。伊藤は△4九角と打ち込み、先手の飛車と桂馬を牽制するが、藤井も急所の5六に角を設置する。この角の働きはまず潰せなさそう。後手は7四、あるいは7二玉の斜めのライン等、筋違い角の脅威に晒されている。

 

 

 1図で打ち込んだ角を△3八角成▲同角△同とと精算させられ、と金は先手の駒から遠く、先手の攻撃が始まりそう。AIの評価値差はほとんどなかったが、言ってみれば後手は一手の齟齬で全滅しそうだが、先手は少々のミスは穴熊ゆえ許容されそう。後手が形勢を維持する条件が細すぎる。心得のある人間で後手を持ちたい人はいないだろう。先手は桂得が確定、後手は桂馬の回収に時間がかかりそうで、これからの先手の猛爆を一つ一つ拾っていかないといけない。レシーバーしかいないバレーボールチームを連想したのである。

 

 そして藤井が繰り出す攻撃は猛爆というレベルを超えていた。

 

 ▲7三歩成△同玉▲6五歩△同歩▲6六銀直!!!!!

 

 

 AI予想手に▲6六銀直が表示されたところで、一瞬私は呆然となり、次に意図は理解したのだが、『この手を指せるmortalがいるかよ? いや、いるか一人だけ』と感じたのだが、他の人達はどうだったのだろう? 局後のインタビューでは伊藤はこの手順を軽視していたという趣旨の発言をしていて、読みには入っていたようであるので、正しくその威力を認識していれば、感想戦で示したような別手順(66手目△7五同歩ではなく△3六歩)をもっと考えたのかもしれないが、でも本譜で頑張るしかないという判断になりそう。。。

 

 藤井の攻撃はなおも急所に刺さり続ける。△同歩(この時点で残り時間が藤井2時間48分、伊藤1時間8分でこの点からも伊藤劣勢である)に▲6五桂△6四玉▲5三桂左成△同金▲6六飛△6五歩の受けを全否定する▲同飛が炸裂。

 


 

 △同玉だと▲5三桂成で上下包囲網が出来てしまう。そこで伊藤は歯を食いしばり△5四玉▲5三桂成△同玉▲6四歩△同銀▲同飛△同玉▲6五歩(ここで銀を打つ手順も局後検討されていた)△5三玉▲6四角△5四玉▲4六銀と進行し、後手玉は進退詰まったようにみえる。

 

 

 この時点で評価値が藤井に70%まで行っていないのが観戦していて不思議で、後手に何か良い粘り方があるのだろうか、と訳が分からなかったのだが、唯一の凌ぎを伊藤は手繰り寄せた。まるで大山康晴ばりの二枚腰である。

 

 △5三銀と打って▲9一角成の決め手を回避し、▲7三角成に△5二銀と退路を開く。▲7二馬で王手飛車取りがかかるが、△4三玉と逃げ越して一時の安寧を確保した。▲8一馬と飛車は取られてもよくみれば駒の損得は銀桂交換に留まっている。手番が後手に移って△7六歩の反撃。

 


 

 後手玉はいつの間にか周囲に守備力があり、そうそう簡単ではない。▲6六銀では穴熊党は8八に引きたいところだが、△6六桂を懸念したようである。△8六歩▲同歩△8七歩と進むと、ゼロ手で後手の方にポイントが入った印象で、実際に評価値は五分に戻った。しかも▲同歩に藤井は40分を割いており、残り時間も逆転した。この段階で藤井は後手玉の寄せを構想したようだが、明確な手順が分からなかった旨のコメントを残していた。藤井で読み切れないのであれば、誰が読み切れるだろうか。。。後手を仕留めるはずだった4六銀が置いてきぼりを食っている。

 

 ここから藤井が防戦に回る。17時20分頃にはこうなるとは全く想像もつかなかった展開である。▲7一飛と打つが△9三角で▲7六飛成と撤退。△4九と▲6九金△4八飛▲7七銀△5九と▲7九金寄と先手の金銀が左側に押しやられていく。このと金は1図の段階では役立たずにされていたのが、ここにきての爆走開始である。この時点でも評価値は互角だったが、中盤と違い、先手を人間が持って勝てる感触が全くない。それでも藤井であれば何か後手を倒す条件を具備するかもしれないよね、と私は観戦していたのだが、△6六桂▲8七金△7五桂とさらに後手からのパンチが入った。寄り切ってはいないかもしれないが、後手がポイントを上げ続けているのは間違いない。局後に伊藤は勝ちは見えていないという趣旨のことを語っていた。

 

 ▲5五銀△7八歩▲8八金上△7九歩成▲6六銀引△8七桂不成▲同竜△7八金▲7五歩と防衛線を構築する。△6九と左(なぜかAIは△8八金を推奨する。私には理解できないし、Abema解説の増田、長谷部も同様であった。何か深い理由があるのだろうが、私の能力ではさっぱりだ)に藤井が放った▲6四桂が急所に見えても違っていたようで、△8八金▲同竜△7八金と後手玉の危険度を見切った伊藤に踏み込まれて、ついに大勢は決した。

 


 

 それにしても年度名局賞はこの時点で相当に有力でしょう。双方、素晴らしい手順の応酬であり、これに追随できる棋士が早々いるとは思えない。藤井一強時代が終わったとは言わないが、少なくとも対立勢力が勃興してきたことで、将棋界は新たな地平に入るはず。一層の充実がありそうで、この点で伊藤の貢献度は非常に高い。

 

 最後に新叡王、おめでとうございます。ますますの精進、ご発展を祈念します。