伊藤匠。一昨日の棋王戦で敗北し、落胆も残ってもやむなしという状況で行われた本日の叡王戦挑戦者決定戦に不利な後手番、プラス永瀬の作戦範囲の中で戦い、それでも勝ち切り、三度目のタイトル戦を藤井と争うことになった。

 

 これだけの根性を示した棋士がかつていたかな? 過去を振り返れば、どれほど強い棋士でもタイトル戦で一敗地に塗れるとダメージも残り、敗北を引きずり調子が乱れたりするのが多かったという印象なのだが、伊藤は本当にタフである。今日の将棋も強かった。敗北を引きずらない先例は大山康晴だが、彼の場合は他の棋士に比較して自分自身の実力が他を圧していることを認識もできていた/伊藤は藤井との相対的な差を自覚してなお自己を鼓舞できるようである。

 

 将棋は先手永瀬の研究手順で推移し、伊藤の予測範囲でもあったたようで、1図(65手目)の段階で消費時間は永瀬9分、伊藤18分。1図の桂打ちも相当に乱暴な手だが、二枚換えをしても先手に分があり、ということらしい。本当だろうか。二枚換えでも後手玉が脆弱なので飛車をとれば十分以上に戦えるという理屈なのだろうが、飛車で拾える後手陣の小駒は香車2本まで。歩による工作もしにくい。後手も歩の工作がしにくいのは同様で、であれば大駒が勝る、永瀬は研究が行き届いていて指し慣れている、といった考え方もあったかもしれない。

 

 

 △同桂は当然として、▲8七歩△7七桂成▲8六歩で△3七桂と奇兵が飛ぶ。この手も1分だけで、伊藤も永瀬の作戦を想定していたようだ。飛車を横に逃げて敵陣荒らしは持ち駒の飛車角に任せる考え方もあったはずだ(飛車を2一から打ち込み、角を7三から打てば香車二本は回収できる。手数はかかるが挟撃に仕上げることもできるかもしれない)が、永瀬は▲2五飛と浮上し、2枚飛車による攻めを狙う。

 

 △8七桂▲6九玉△7八成桂▲同玉△9九桂成で飛車と金桂馬香車の三枚替えだが、先手も香車の回復は可能なので形勢は人間目線では互角か。(なお、AIは後手有利としている)

 

 ▲8五飛△4二玉▲8一飛成△5一桂で後手は盤面左翼からの先手の攻撃はひとまず抑え込んだ。ではと右翼からの攻撃となり▲2一飛と狭いエリアに降下。対して伊藤は駒はあげませんと△2二角。ここまで進行して漸く昼食休憩とはこれいかに? どういう研究のレベルであろうか?

 

 

 この角を永瀬が想定していないというのが良く分からないのだが、永瀬は昼食休憩を挟んで長考して▲2五桂。△3一金打▲2二飛成△同金寄と進んだ局面をどう考えるかだが、自陣にいた飛車を手数をかけて侵入させたのに二枚飛車にならない、そもそもさっさと▲2一飛と打っておけば香車は取れたし、飛車を渡すこともなかった。成果の見えない展開と化している。その上、本譜は打ったばかりの桂馬を奪われていて、得が見当たらない。後手陣はとんでもない堅固さになっていて、ちょっとやそっとでは寄りつけない。永瀬に誤算、読み違いがあったのは間違いない。伊藤は徐々に距離を詰めていけばよいだけになった。

 

 叡王戦の消費時間はチェスクロック計測なので、局面の進行が早い。17時前だったと記憶しているが、入玉を目指して進んできた先手玉の行方を制する銀打ちがいかにも味が良く、トドメであった。

 

 

 ここまで勝てていない相手だが、そろそろ結果が出てもいい頃合いである。藤井のライバルを待望する将棋ファンは多いはずで、今回の叡王戦で伊藤の後ろにつく比率もそれなりだろうと予想する。番勝負自体は藤井の勝利だろうが、過去2回の番勝負よりも近接した寄せ合いを観たいものである。