昨日の棋王戦第1局。伊藤は後手番角換わり腰掛銀で持将棋含みの作戦採用し、これがズバリ当たって、首尾よく持将棋にできた。局後の感想で藤井が「伊藤さんの掌で転がされた」と話していたが、藤井にこのセリフを言わせただけでも大したもの、ほぼ不敗の藤井の先手番角換わりで負けなかったこと自体が偉業、この発想、着眼点は本当に将棋のことを考え抜かないと出てこないもの、と私の中では激賞モードだったのだが、一夜明けると批判をする人々も一定数いるという。興行としてどう?とか斬り合いにでないのはがっかり、というトーンであるらしい。

 

 遊びの将棋なら斬り合い上等、斬り殺されてもOKというのもありえるだろうが、超トップ同士の仕合(この表現を使います)であれば、負けない工夫を凝らすのは当然。興行ということなら、挑戦者がボロボロに押し込まれている王将戦より数段上、それ以外の評価はないと思うのだが、どういう状況でも批判をしたい人がいるということだろうか。

 

 チェスを引き合いに出すのが妥当かどうかというのはあるが、チェスだとドローに持ち込むのも能力の一部だという。藤井相手に入玉を完遂するプロセス自体が剣が峰を通るようなもので、それ自体も大変なことだ。それを持ち時間の余裕を残し、ということはご本人もそれほど疲弊せずにクリアできたことは、伊藤の能力の高さを改めて示しました、という認識でよいのではなかろうか。

 

 次戦は伊藤の先手なので恐らくは得意の相掛かりを採用するか。この戦型は金が前線に出ていかないので、まずは斬り合いになる。伊藤は対藤井の先手番も勝っていないので、ここでも何らかの工夫がありそう。ファンは天才棋士が極限の努力をする様を堪能できれば十分だろう。

 

※追記

 プロの指し回しへの批判で記憶に残る事例となると、電王戦で塚田泰明が必敗の将棋をソフトの入玉形への不適応を利して持将棋に持ち込んだ対局を思い出す。当時はニコニコ動画で実況していたが、観戦者コメント、解説陣(プロ)の大半が実戦中は不満や嘲りを表明していたと記憶しているが、終局後のインタビューで塚田が「団体戦なので大将の三浦まで勝敗が決まらない形で回したかった」と語ったのを受けて、雰囲気が一変したものである。将棋は指している人のもので、技量や指し手の品質については批判、評価の対象にはなりえても、方針、想いは別物だと思う。