アカデミー賞6部門ノミネートながら最優秀賞はどの部門でもとれなかった本作品。日本では大きな話題にならずに推移しているが、今でも細々と上映されており、先日、109ライズで視聴の機会を得た。

 

 


 Yahoo映画レビュースコアは3.6と並み。絶賛もあれば徹底的否定もあり。不思議な映画で妙に心に居着いていて、実視聴後映画ファンのレビュー等を読んで、鑑賞ポイントを確認・認識している。私の本作の評価は8/10。2時間半は非常に長いが、一見の価値はある。

 



 粗筋はこう。
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リディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、ドイツの著名なオーケストラで初の女性首席指揮者に任命される。リディアは人並みはずれた才能とプロデュース力で実績を積み上げ、自身の存在をブランド化してきた。しかし、極度の重圧や過剰な自尊心、そして仕掛けられた陰謀によって、彼女が心に抱える闇は深くなっていく。
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 これでは何のことか分からないのだが、主人公は若手女性指揮者と同性愛関係に入ったもののうまくいかなくなり、その指揮者を迫害、その結果、若手指揮者は自殺→SNS等で批判、炎上→ベルフィル退団という流れの中の心象、リアル画面が展開されるというところか。

 以下、若干のネタバレありの感想です。

・ケイト・ブランシェットの演技は文句なし。アカデミー賞主演女優賞受賞者(ミッシェル・ヨー)よりいい演技だと思うが。冷静に振舞っているようで、時折起こる異常な爆発(本を破る、アコーディオンを演奏しながら狂ったように歌う、代役の指揮者を殴り倒す等)との落差を見事に演じている。また自分の好みの女性が現れた時の表情の変化も微妙ながら示唆的で、流石だ。
 

・作品としても、こちらの方がストーリーはしっかりしている。今どき旬のテーマであるパワハラ、セクハラ、アカハラ、マルチレイスが全部埋め込まれていて、なおかつ『エブエブ』に勝てなかったのが不思議だ。
 

・しっかりしているストーリーといったが、鑑賞していると分かりにくいところは多い。

 

- まずターのハラスメントの描写が明示的ではない。自殺した女性指揮者との同性愛関係に強要があったのかどうかも不明である。(女性指揮者はターに本を送っている。この本は何かの皮肉を伴っているのかストレートな愛情表現なのか私には分からなかった) 

- 新しいチェロ奏者の起用について、団員にもなっていない段階で選考会対象にするのはいかにも乱暴だが、結局周りの団員も彼女の実力を認めている。団員自治が掟のベルフィルでも結局は実力がモノをいうのでOKという解釈でいいのか、そうではなくて掟を破ったことでターは没落するのか?というところが分からない。

-中盤の女性の叫び声、メトロノーム、冷蔵庫からの異音等々がリアルなのかターの精神の変調によるものなのかも視聴側の解釈に委ねられているのか?
 

・ハラスメントの主体が偉大な芸術家である場合、我々はどう向き合えばいいのか、キャンセルカルチャーが広まっている中、考えてしまう。著名な事例ではカラバッジョは殺人犯だったが我々は彼の作品を好んでみている。では、最近、話題の歌舞伎界の方々の芸をどうみるのか? ハラスメントをしたので芸も価値なしと切って捨てるのか? 芸は芸、人格は人格と切り離すのか? 時代が離れていれば切り離しOK、今の時代だと切り離し不可というのもダブルスタンダードではないか。うーん。 ※出だしでアフリカ系、LGBTQ側の男子学生の音楽観を木っ端微塵にするシーンがある。これもアカハラなのかもしれないが、私自身はこの点についてはターの意見の方がまとも(バッハが女性に多産を強いていたからといって、音楽とは別のこと、学ばない理由ではない)と思う。
 

・ターは楽団内の与党を確保しておけばよかったよね。秘書役の女性を抜擢する、何かあった時の防波堤役を確保しておく等、策はこらせたはず。彼女は自分の能力があれば不可侵とでも思っていたのだろうか。

・最後、アジアの大都市でゲーム音楽の演奏会の指揮をするター。そういうグレードのものでも真摯に向き合おうとする彼女、その前にマッサージ—パーラーで番号を付けた女の子群の中から選ぶように言われて嘔吐する彼女(最近の映画は嘔吐シーンが多いな)は、自分の過去に向き合い、前を向いたように思える。そこにこの重苦しい映画の救いを感じた。

 

 この人を許せるかどうか視聴者は問われるわけだが、主役の状況を観ているためか私は許したくなる。他方、現実にこういう人がいると辟易するかもしれないです。

 

 この映画、伏線を確認するために何回か観たくなる変な風味がある。色々なことが気になってしまっている。